薬害エイズと日本の医学者

七三一部隊の陰を引きずったミドリ十字



 ミドリ十字が設立されたのは1950年11月で、朝鮮戦争が勃発した5ヶ月後 です。当時は「日本ブラッド・バンク」という名称で、設立者は内藤良一という人 物です。
 内藤は、侵略戦争当時、陸軍軍医学校「防疫研究室」の主任でした。 この「防疫研究室」の主幹は、かの有名な七三一部隊の石井四郎でした。石井は 満州で細菌戦の人体実験を行いながら、一方で侵略戦争全域での細菌戦展開の 作戦についてはこの内藤に命じていたのです。ですから内藤はいわば七三一部隊の 総参謀役ともいえる人物でした。
 アウシュビッツにも匹敵する戦争犯罪だった七三一部隊の罪状がアメリカ進駐軍に よって意識的に免罪され、データがアメリカに売り渡され、それと引き換えに七三一 部隊関係者はその庇護のもとに戦後の社会で活動したことは周知の事実です。 そして、朝鮮戦争でアメリカ軍人の輸血の必要が生じたことを契機に、内藤は 売血制度を中心にして「日本ブラッド・バンク」を設立したのです。設立当時は 石井の後の七三一部隊の部隊長だった北野政次が東京の工場長をしています。 また石井の京都大学在籍時の指導教官だった木村廉が会社の顧問的役割を 果たしていたようです。
 このように、ミドリ十字は元から七三一部隊の陰を引きずって生まれ、七三一部隊の 犯した戦争犯罪を何ら反省しない人々によってその事業が始められました。それ以後 、戦後日本の医学界に入り込んだ七三一部隊の研究者とその弟子たちを取り込んで 発展してきた会社です。「非加熱製剤」が中止された後にも、それを回収するどこ ろか販売し続けるという人命軽視、人間無視の姿勢は、まさに七三一部隊の思想を今に 受け継いでいるといえるでしょう。
 このことは、このような恥部をいまだにかかえている日本の医学界の重要な課題でも あります。いって見れば、薬害エイズは、日本の医学界が七三一部隊について未だに 何ら反省してこなかったことと深く結びついている問題だと思います。



日本の医学界と七三一部隊



日本の医学界は七三一部隊について何ら反省してきませんでした。当時満州の七三 一部隊で「研究」の主要な役割をしていた多くの技術者が、その後各地の医学部の 教授となり、その後もそれぞれの学会でボス的行動をとってきたことを医学界は 黙認してきました。例えば、石川大刀雄は金沢大教授、岡本耕造、田部井和、吉村寿 人は兵庫医大教授、林一郎、斉藤幸一郎は長崎医大教授に就任しています。また南京に つくられた「栄」一六四四部隊の技術者たちは、東大伝研(後の国立予防衛生研究所) に住み着いたごとくです。
 五二年一〇月、日本学術会議第一三回総会が開かれました。この総会に平野義太郎、 福島要一らが、「細菌兵器禁止に関するジュネーブ条約の批准を国会に申し入れる件」 を議案として掲出しました。当然の提案でした。ところが、これに反対したのは 医学関係の第七部に属する戸田正三、木村廉でした。戸田、木村は京都大学医学部の 教授で石井を指導した教官であり、侵略戦争当時は七三一部隊の技術者を送り込んだ 張本人だったことはよく知られています。その反対理由として「現在日本では戦争を 放棄しているのであるから、戦時に問題になる条約を批准するのは筋違い。」「四〇年 前に解決している問題であって、実用にならないものに苦労するはずがない。」など と述べています。七三一部隊の犯罪を反省するどころか、それがアメリカ軍によって 免罪されたことを正当化した発言でもあります。
 また、六七年一二月と六八年八月の日本伝染病学会雑誌(四一巻九号、四二巻五号) に、「流行性出血熱の流行学的調査研究」という原著を池田苗夫(かつて軍医中佐) が発表しています。これは四二年頃の満州・黒河、孫呉地方での流行性出血熱の七三 一部隊での調査の記録です。七三一部隊がようやく日本の社会で問題視されたさなか に、日本伝染病学会でこのような論文が公然と発表され、しかも学会誌がそれを掲載し ているのです。いかに医学界が七三一部隊の犯罪に無関心か、否、それを正当化さえ していることに憤りを感じざるを得ません。
 今日まで、日本政府は一五年戦争が日本の侵略戦争であったことを正しく反省して いません。同様に、日本の医学界も七三一部隊の犯罪性、非倫理性についての反省が なかったことを証明しているようです。
 薬害エイズの原因となった血液製剤は製薬五社(ミドリ十字、日本臓器製薬、バ イエル薬品、バクスター、化学血清療法研究所)によって供給されたものです。この 中で最初に非加熱製剤の輸入を申請したのはミドリ十字です。おそらく製薬五社の中で 主導的役割を果たしてきたのでしょう。このことから薬害エイズを発生させた遠因は、 今から六十年も前の七三一部隊の人間無視の思想にあるような気がします。

(民医連医療No285(1996年4月)52-53 より転載)