現代の庭園(2)




「現代の庭園(2)」



現代庭園の特色

明治以降の西洋文化のもたらした影響は、日本庭園の中においても少なからず影響を及ぼしたように見えるが、やはり、日本庭園の最も重要な石組がもたらす抽象的な表現方法とは合致せずに、最近ではいわゆLandscape的なものと、日本庭園とにはっきりと区別が付くような意匠になってきたようである。このホームページ上で大正時代の庭がないのは、この辺のこととの関わりと、明治から急速に流入した西洋文化との合流に試行錯誤を繰り返していたために、はっきりと言ってみるべき庭園がないのが実状である。
以下の庭園は私どもの設計による庭園で、古来の手法を用いながら、決して古典の模倣に終わることなく、構成や色彩などに現代の感覚を大胆に取り入れた斬新な庭園であり、世界中の日本庭園の研究や設計に携わっている方々からも絶賛されたものである。




瑞峯院庭園

設計:重森三玲


独座の庭
方丈東部から見た独坐の庭全景





瑞峯院中庭
西庭露地、独創的な立手水鉢を使用した露地





大徳寺の塔頭寺院の一つである瑞峯院は、大徳寺第91世徹岫宗九和尚、すなわち普応大満国師の開山で、この大満国史に帰依した九州豊後の大友宗麟が開基で、天文二年(1533)に創建され、方丈は天文四年に完成した室町末期の建築で、重文に指定されている。この庭園は私共の祖父の代から主催している京都林泉協会(日本庭園、古社寺の建築、石造品などの研究会)の創立30周年記念事業の一環として昭和36年設計、寄贈されたものである。本院が大徳寺塔頭寺院である関係から、碧巌録中の独座大雄峯をテーマとして用いた。南庭(独座の庭)145坪、西庭(露地)40坪、北庭(十字架の庭)100坪で構成されている。南庭の独座の庭は、西南の角に巨石を立て、下部の石組群は東部に向かって細長い苔地の出島をつたい、さらに白川砂中に細長く突出させ、離れた一石を岩島に見立てている。西庭の露地は一木一草を用いず、しかも立手水鉢を使用した非常に独創的な露地で、日本での造形的な美しさの評価は勿論のこと、海外の日本庭園研究家及び愛好家の方々から、非常に高い評価を寄せられており、海外で出版されたている日本庭園の書物の中に取り上げられていることが多かったのであるが、近年惜しくも解体されてしまい、現在では独座の庭、その裏側の閑眠の庭とは全く不釣り合いな、どうしようもなく安っぽい露地が作られており、残念で仕方がない。こんな安っぽい露地を作るぐらいなら、何も作らなかった方が良かったのではないかと思う。北庭は閑眠の庭と命名され、開基の大友宗麟が、キリシタン大名であったので、それをテーマに十字架の庭とした。表の庭は開山の庭で禅に囲み、裏の庭は開基にちなんでキリシタンの庭としたのも意味のあることである。





所 在 地京都市北区紫野大徳寺町
作庭年代現代(昭和36年/1961)
様      式枯山水,露地
社 寺 名臨済宗大徳寺山内瑞峯院



瑞峯院庭園は一般公開しております。



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東福寺方丈庭園

設計:重森三玲


方丈前庭
方丈前庭(南庭)






方丈前庭石組局部(南庭)
方丈前庭石組局部(南庭)





西庭井田
西庭。廃物を利用した井田式の庭。





北庭。勅使門内にあった敷石廃物利用による市松の庭。
北庭。勅使門内にあった敷石廃物利用による市松の庭。





北庭。勅使門内にあった敷石廃物利用による市松の庭。
北庭。勅使門内にあった敷石廃物利用による市松の庭。





東庭。東司にあった柱石を廃物利用した北斗七星の庭
東庭。東司にあった柱石を廃物利用した北斗七星の庭。





臨済宗慧日山東福寺は、同派の大本山である。創建は延応元年(1239)で関白九条道家によって着工が進められた。道家は時の関白九条兼実の孫、後京極摂政良経の子であり、本寺は九条家の邸宅一切を寄進して造営され、洪基を奈良の東大寺、盛業を興福寺につぐものとして東福寺と命名された。本庭は非常に荒廃していたため、年昭和14年に永代供養(御奉仕)という形で作庭された。方丈建築を中心として、南庭、北庭、西庭、東庭の四つの部分からなり、南庭には蓬莱、方丈、瀛州、壺梁の石組と、五山の築山を構成し、北庭には勅使門内にあった敷石の廃物利用による市松の庭、西庭にはこれも廃物を利用した井田式の庭、東庭も東司にあった柱石の一部を使った廃物利用で、北斗七星の庭としている。このように蓬莱、方丈、瀛州、壺梁、五山、市松、井田、北斗七星の八つの庭園構成により八相の庭と命名された。この作品は戦前に設計されたにもかかわらず、非常に意欲的な作品であり、未だに現代の庭園以外の創作家達にも多大な影響を与えている。





所 在 地京都市東山区本町15丁目
作庭年代現代(昭和14年/1938)
様      式枯山水
社 寺 名臨済宗慧日山東福寺派本山東福寺



東福寺本坊庭園は一般公開しております。



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東福寺塔頭龍吟庵庭園

設計:重森三玲





龍吟庵庭園
方丈西北から見た全景





東福寺塔頭である竜吟庵は、南禅寺の開山である無関普門大明国師の塔所でもある。ここの方丈建築も国宝であり、建築が素晴らしいものの、庭らしいものがなかったために、昭和39年作庭寄付金を重森三玲が奔走してかき集め、作庭に至ったのである。戦前から昭和30年代というものは、どこの寺も財政的に苦しく、このような形で作庭されたところが多いのである。本庭のテーマは本庵の竜吟からとり、竜が大海中から黒煙に乗って昇天するというものを抽象的に表現したもので、中央部に竜頭の石と角二本の石を組み、胴の各石は海中に円形を描いてわだかまり、その間に黒白の砂紋による海波と雲紋とを織り交ぜた構成で表現されている。今までにはない非常にモダンなデザインであり、完成後すでに30年以上たっているが、デザイン意匠は色褪せることなく、更なる輝きを持って、すでに現代の古典となり、重森三玲の目指した永遠のモダンの領域にはいっている。





所在地京都市東山区本町15丁目
作庭年代現代(昭和39年/1964)
様 式枯山水
社寺名臨済宗東福寺山内龍吟庵



注意!!東福寺塔頭龍吟庵庭園は、一般公開しておりません。関係者の方達にご迷惑をおかけしないように御願いいたします。



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