
スティーブン・ウォズニアクとスティーブン・ジョブスは高校生の頃からの友人だった。彼らはエレクトロニクスに魅せられ、ともに大学を中退しアウトサイダーの道を選んだ。卒業してからもずっと二人は連絡を絶やさず、シリコンバレーの企業(ウォズはヒューレット・パッカードへ、ジョブスはアタリへ)に就職した。ウォズニアクは片手間にコンピュータのデザインをしており、1976年に、後にApple Iとなるマシンを設計した。ジョブスはいつも未来を見据えており、マシンを作って売ろうとウォズニアクを説き伏せ、1976年4月1日にアップルコンピュータが誕生した。 コンピュータを道楽でいじっているホビー仲間はApple Iを真剣に受け止めなかった、アップル社も1977年に地方のトレードショーでApple IIをデビューさせるまで翼を開くのを待たざるを得なかった。 Apple IIは初のパーソナルコンピュータであり、プラスチックのケースに納められ、カラーのグラフィックを実現したという革命的なマシンだった。発売以来、Apple IIに対する注文は倍々のペースで増えていった。そして1978年にApple Disk IIという(当時としては)破格の安さでしかも使いやすいフロッピーディスクドライブが発売されて、アップル社の売り上げはさらに拡大した。 売り上げの増加にともない、会社の規模も拡大した。1980年にApple IIIが発売された頃にはアップル社は数千人の従業員を抱えるようになり、さらに多くのコンピュータ本体を販売する作戦に出た。アップル社は何人もの経験のあるマネージャーを雇い入れ、より重要な事として投資家を集めて役員として迎え入れた。年齢が高く保守的な人物を入れることによってアップル社は「真の」企業となっていき、このことは創業以来の従業員を驚かせた。 1981年になり、事情が変化した。コンピュータ市場が飽和して、コンピュータを売ることは難しくなってきつつあったのだ。2月にアップル社は40名の従業員をレイオフせざるを得なかった。ウォズニアクは飛行機事故で負傷した。彼は次第に会社に来なくなっていった。3月にジョブスはアップルコンピュータの会長に就任した。 |
