
ゼロックスのパロアルト研究所(PARC)への歴史的な訪問したことがきっかけで、ジョブスは数名のエンジニアとともにLisaの開発を開始した。これはパーソナルコンピュータの定義を塗り変えるものになった。しかしジョブスはプロジェクトのマネージャーとしては失格であることを思い知らされ、Lisaの開発はアップル社の社長、マイク・マークラに委ねられ、ジョブスはわずか11%のアップルの株を保有する株主という立場になった。他のプロジェクトを引き継ぎ、Macintoshの開発を始めた。当初これは500ドルのパーソナルコンピュータという計画だったが、ジョブスはそれ以上のものにした。1981年にIBMは初代のPCを発売した。ビッグブルーの強大な力を背景に、PCは急速に大きな役割を果たすようになった。ジョブスのチームはIBMのPCと市場で競合できるような製品となるよう開発を急いだ。ジョブスはアップル社がこれからも成長する事を悟ったが、同時に彼にとっての居場所が無いことも知った。 1983年の始めに、ジョブスはペプシコーラの社長であるジョン・スカリーのヘッドハンティングを始め、4月にそれが実現した。スカリーはアップル社の社長と経営最高責任者の地位に就任した。 ジョブスはアップル社が成長するためにスカリーが必要だと考えたのだが、その計画そのものが彼をアップルから追いやってしまうという事は思いもしなかった。彼は結局自分のために犠牲になってしまったのだ。 |
