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1983-1985
スカリーは成功した実業家だがコンピュータ産業のことを何も知らないという事はすぐに明らかになった。間もなく彼はジョブスと対立するようになった。
Macintoshの発売が近づくにつれてジョブスは開発に没頭していった。ソフトウエアのデベロッパーに対し、これから発売される新しいマシンのプログラムの作ることを必死で説いて回った。Macを生かすのも殺すのもソフトウエア次第だということをジョブスはよく分かっていたのだ。
1984年1月22日のスーパーボール第3クオーターに、Macintoshの60秒のテレビコマーシャルが放送された。リドリー・スコット監督によって制作された作品で、オーウエルのシーンはIBMマシンに支配された世界をこの新しいMacintoshが打ち砕くということを描写している。
発売当初Macintoshはまあまあの売れ行きだったが、1984年のクリスマスの頃にはメモリー容量が少なくハードディスクを接続することも出来ないこのマシンに、人々は落胆を感じ始めた。
1985年の頭に、ジョブスとスカリーは衝突した。スカリーはジョブスを危険人物でコントロール不能だと思い、ジョブスはスカリーにはコンピュータ産業についての知識がまるで無く、それについて学ぼうという努力すらしないと感じた。
1985年3月、ジョブスはアップルを自分のものに取り戻そうとするため、スカリーを中国への出張に出向かせようとした。そしてスカリー不在の間に取締役会を開いて彼に一撃を食わせようという目論見だった。ところが直前になってこの計画がスカリーに漏れ、彼はジョブスと対決することになった。
二人は言い争いになり、取締役は評決を取ることになった。結果は満場一致でスカリーを支持する結果になった。ジョブスはスカリーを会長として残し、その日のうちにアップル社を去った。
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