apple-history: 1997-2000


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1997-2000

ジョブスの出現はNeXTがアップルに吸収されたニュースと同様にまたたく間に広まり、人々の間でもジョブスの果たす役割は理解された。CEOを欠いたアップルの株は5年前の株価ほどに値下がりした。数々の決定もなされた、それを行う時間は限られていた。

ジョブスはアップルの部門の大変革を始めた、Newton部門を売却することは中止にした(Newtonはその数カ月後に生産終了になった)。そして最も大きなアナウンスが、1997年の夏のボストンにおけるMacworldで行われた。
ジョブスは以前に決定されたアップルの分割を狭い範囲にとどめ、Newton事業部の独立も中止した。しかし重大な決定を発表する時期は迫って来ていた。それは1997年の夏に開かれるボストンのMacWorldなのだ。

ジョブスは“暫定CEO”として基調演説を行うことになっていた、アップル社の今後の広告キャンペーンを決定し、新しいMacやRhapsodyについて述べる必要があった。彼はまたOracleのCEOであるラリー・エリソンを含む新たな取締役を紹介した。そして最大のニュースが最後に紹介された。
世間をあっと言わせた重大発表とは、Microsoftとの同盟だった。1億5千万ドルの投資をマイクロソフトから受けることによって、MicrosoftとAppleの間で5年間のクロスライセンス契約を結ばれた。さらに重要な点は、両社のGUIに関する係争に終止符を打たれたということだった。AppleがWindows OSが知的所有権を盗用しているという主張を行わないという条件で追加の資金協力することに同意した。
Microsoft社はまたOffice 98 -有名なビジネスパッケージソフト- はその年の末に発売されることになると発表した。

これらの発表はAppleの再出発をもたらすが、ジョブスの仕事はそれで終わりではなかった。 Appleにはもう一つの障害があった、クローンマシンである。
PowerComputingのようなクローンメーカーは、元来最大の利益をもたらすAppleのハイエンド市場を脅かしていた。クローンメーカーはMac OSの市場を拡大することに成功しなかっただけでなく、Appleの顧客を奪っていた。ジョブスはPowerComputingに対するMac OSのライセンスという明らかな失策を取り戻すことに乗り出した。
1997年の末、Power Computing社からMacOSのライセンスを買戻し、多くの技術スタッフを自社に迎え入れるという発表をした。数カ月後にPower Computing社は倒産し、アップルは製品サポートを引き継いだ。MotorolaとIBMのライセンスも買い戻した。Umaxは競争に残ることはできたが暗黙の了解で千ドル以下のローエンド機種だけを製造することになった。Umaxは在庫のMacを売り、今はWintelマシンを販売している。

1997年の10月10日、アップルは記者発表を開きジョブスの口から今後の戦略について発表した。Internetのwebと電話による注文でダイレクトに製品を販売するというもので、この販売方法は以前Power Computingが採用していた。また2つの新製品も発表された、PowerMac G3PowerBook G3である。

アップルストアは開始してすぐに成功し、一週間のうちに第3位の規模のエレクトリック・コマースのサイトになった。
1月に開かれたサンフランシスコのMacWorldで、アップル社が第一四半期において、過去1年以来連続の黒字となる、4千4百万ドルを計上したことがジョブスによって報告された。アナリストの予測に反して、一株につき20セントの利益を産んだことになる。

3月の末に、アップルは大きくデザインの変更を加えたPowerMac G3のオールインワンタイプを教育市場向けに発表した。

1998年の4月に、ジョブスは次の四半期がふたたび黒字(5千7百万ドル)であった事を報告をした、このニュースには誰もが驚かされた。ジョブスはこの勢いを保ち続け、5月に新しいPowerBook G3、アップルストアの教育市場向け展開、そして根本的に新しいデザインの新型Mac、iMacを発表した。
iMacは、パワフルなコンピュータ環境を多くの人々に手軽な価格で供給する、というアップルのローエンドのコンシューマ向けマシンとしての回答だった。

その月のWWDCにおいてジョブスの基調講演が行われ、アップルのOS開発を大変革させることを発表した、Mac OS Xである。Mac OS 8とRhapsody -アップル版の新世代NeXTStep- を一つにまとめた強力なOSとして、最新のOS技術を持ちほとんどのOS 8向けのアプリケーションが走るものだ。

1998年の7月にジョブスはアップルが3期連続の黒字を上げたこと、その黒字は1億百万ドルに達したことを発表した。これによって数日のうちにアップルの株価は年間での最高値を何度か記録した。
iMacは秋にはベストセラーのコンピュータとなり、アップルの売り上げは全ての予想を上回るものになった。その年の暮に、ジョブスはまた黒字の計上を発表し、年間を通しての黒字であったことを強調した。
1999年の1月、ジョブスは四半期連続しての黒字とともに、年を追うごとに業績が伸びていることを発表した。そして新しく輝かしいデザインのPowerMac G3を発売した。

1999年の7月、スティーブ・ジョブスはアップルの「マトリックス」の4つ目 -コンシューマ向けポータブルマシン- を満たした。iBookの発表である。前年に人気が沸騰したiMacと同じ設計のiBookは、ローエンドのポータブルマシンの市場に新風をもたらした。
ジョブスはその数ヶ月後にプロフェッショナル向けの画期的なデスクトップマシン、PowerMac G4を発表した。アップルの株価は夏の間上がり続け、9月の中旬に70ドル後半で取引された。

2000年1月のMacWorld Expoサンフランシスコのドラマチックな基調講演で、ジョブスはアップルのInternet戦略を披露した:iToolsというMacに限定されたInternetアプリケーションと、アップルの推奨プロバイダーとしてのEarthlinkとのパートナーシップの発表だ。
ジョブスはまた彼自身の肩書きからinterim(暫定)という文字を取り去ることも発表した、アップルの正式なCEO(最高経営責任者)に就任したのだ。アップルの売り上げは伸び続け、同様に株価も3月初旬には130ドルへと上がった。

2000年の1月に、アップルはPowerMac G4 Cubeを含む新しいマシンを放った。アップルの4つの戦略製品カテゴリー区分に5つ目のマシンが加わったのだ。Cubeはディスプレイの無いiMacを欲しいという人への回答であり、かつ見た目の美しさが加わったダウンサイジングへのチャレンジである。
CubeはジョブスによるiMac以来のギャンブルであり、失敗したときの反響でもあった。


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