●夢とシンクロニシティー 〜意味のある偶然の一致〜


 私の夢に関するおはなしなんですが・・・
 夢を見終ってから目覚めるまでの間自分の頭の中でカウントダウンすることがた
 まにあります。
 5、4、3、2、1で目が覚める・・・と、同時に目覚まし時計が鳴るんです。
 こういうことがよくありますが、夢と現実の不思議な関係です。それとも時間通
 りに起きなきゃという私の意識ですかね。
                          「夢のらくがき帳」から

 朝10時、食事をしようとレストランに入りました。
 店内は満席。 案内係りの店員が言うには、午後2時半まで席は空きませんとのこ
 と。がっかりして店を出て、その後も夢は続き、目が覚めました。
 時計を見ると午後2時半...
 10:00が起きるべき時間。14:30が起きた時間。
 結局その寝坊で、外出はキャンセルになってしまいました。

                         「眠り男の占い部屋」から

 今朝、関東地方に地震がありましたね。
 僕は、寝ていましたが、突然起きました。
 そのとき見ていた夢で、一番はっきり覚えているのが、飛行機に乗っていて墜落
 事故を起こしたもの。
 「いやぁ〜な夢だなぁ〜」と思いながら起きて、しばらくするとぐらぐらぐら。
 まぁ、あまり関連性はないのでしょうが。
 もっとも、もともと地震の前は眠っていても目が覚めてしまうんです。体内にp
 波探知機能でもついているんでしょうか・・・

                          「夢のらくがき帳」から

 今朝、夢うつつに他県にいる友人に似た人物の影をみました。
 すぐにその友人へ電話する気持ちになったのですが、あいにく電話番号を紛失し
 ていました。
 仕方なしに遠方の友人の両親に電話して番号をきこうとしたのですが、何とちょ
 うど5分程前に友人が帰省したところだったとのことでした。

                           ある女性のメールから


このような夢は多くの人が体験しています。これは想像以上に精妙な感覚が私たち
に備わっていることをあらわしているのかもしれません。
トランスパーソナルな夢の領域では、驚くような現実との一致が、想像以上にひん
ぱんに起こっているようです。
さて、現実の世界にもこのようなことはないのでしょうか。


 ある寒い朝、私の母は、玄関のガラス戸の下の部分が中央から大きく縦に割れて
 いるのを発見しました。
 まるで何かが滑り込んで、途中で止まったような割れ方でした。
 今度は朝食の時、父が御飯を食べていると、その茶碗が突然、真ん中からきれい
 にころりと割れてしまいました。
 朝から胸騒ぎを覚えていた母の元に、実家から離れて暮らすわが子の訃報が届い
 たのはその直後のことでした。

これは私の家族の一人が交通事故で亡くなった日の出来事です。事故は、単独で車
を運転し、壁に激突するといった状況でした。

ある友人と連絡がとれないので実家に手紙を出そうと考えていた日、終電のホーム
でその友人とぱったり出会ったといったような体験をしたことはありませんか。
また、誰かの事が話題にのぼり、みんなで盛り上がったとたん、当の本人が突然現
れたりしたような体験はありませんか。
このような意味のある偶然の一致、非因果的な現象を、心理学者カール・グスタフ
・ユングは「シンクロニシティー」(共時性原理)と名付けました。

ユングは中国の「易経」を基本に、理論物理学をはじめ、東洋思想、占星術やタロ
ット占いなどにも関心を持ち、通常の因果律を超える数々の現象、人の運命から超
心理現象まで幅広く研究の対象にしました。
私たちの人生の中で「奇遇」として誰でも体験することのある現象など、晩年のユ
ングはそれらを心理学で説明できないかと試行錯誤を重ねました。
その後、多くの研究者の手を経て様々な説明が試みられていますが、すべての共時
的な現象について、未だ説明可能な答えは出ていません。

人の生死にかかわる場面で遭遇する奇妙な偶然の一致、遠く離れている人たちが思
いを通じ合わせる現象、未来の出来事を暗示する予知夢、正夢やデジャビュのよう
な現象も広い意味でのシンクロニシティー、共時的な現象のひとつといえます。

夢予知や予知的な現象について、いくつかは科学的に説明できる状況もあるかもし
れませんが、まだその現象自体が明らかにされているわけではありません。
すきやき料理にたとえるなら、科学的な解説は食材をそろえただけにすぎません。
しょうゆ、砂糖、食材だけを順番に胃に流し込んでも、それはすきやき料理とはま
ったく別のものです。
生理学や唯物論などではけっして理解できない現象があるのです。

心や夢の世界というのは、唯物的な因果関係を超えて、私たち一人一人の人生の出
会いや運命の不思議に至ります。
そこには私たちの霊性が大きな関わりをもっています。これがユングにも解明でき
なかったものです。

生き物が絶命すると、この霊性の一部は、肉体という衣服を脱ぎ捨てるように離れ
ていきます。(この時点の現象は一般に心霊と言われています。正確には心霊は人
間だけの現象ではありません。)やがてそれは上のほうに昇っていきます。
白く輝く濃い霧のように見える実体で(病気で亡くなる人などはあまり輝いていま
せん)、生き物によってかたちや大きさ、明度が違います。人や高等な動物ほど遅
く、小動物ほど素早く昇っていく様子が観察できます。

洋の東西を問わず、昔から生き物が死んでいくことを「昇天」というイメージであ
らわしているのは、純粋に私たちの空想や信仰から生まれたものではなく、こうい
った現象が実際に起こっているからです。

また、古代ギリシャで「魂」のことをプシュケー(蝶々のようにひらひらと舞うも
の)と表現したのは、単につかみどころのない心の働きをイメージしたのではなく
、生き物が死んでいく時に、光るものがひらひら立ち昇っていくのを見た経験を元
にしているからだと思います。
実際にそれは濃い霧の塊のようなもので、その輝き方で、蝶々のようにひらひらと
舞っているようにも見えます。

ただ、私が本やサイトで使う「霊性」という言葉は、単に心霊という意味ではあり
ません。
霊性とはスピリッツ、生命のエッセンスのようなもの・・・志や個体の違いをすで
に含んだ、私たち一人一人の命の核になっているものをあらわしています。
本質的には、脳の働きだけから心や意識が生まれているのではなく、私たちの肉体
に宿った命の核のような実体が、頭脳や身体、目や耳を使い、自身を生かし続けて
いるということです。

それにともなって生じる選択や出会い、東洋ではこのような人や動物、自然や物と
のコミュニケーションのことを縁(えん)と言います。面白いことに、これはユン
グのシンクロニシティーと非常に似通ったイメージです。
だからどんなに同じような環境で生きていても、私たちには個性があり、それぞれ
考えていることや生き様が違ってくるのです。

こういった違いや多様性が生命の進化には何よりも大切なのです。その変化のプロ
セスを東洋思想では輪廻(りんね)と言います。
私たちは生まれた時からまったく不平等な世界で生きているように見えます。
ただ、この輪廻という自然のシステムの中では、違いはあっても、結果は平等でな
くても、すべての生き物がそれぞれのレベルで、チャンスが平等に与えられている
ということになっているのです。

理想的で行き届いた環境を誰にも整えてあげれば犯罪や不平等はなくなるというの
は、悪平等かお節介、薄っぺらなヒューマニズムにしかすぎません。
生まれおちた時から、私たちはすでに他者との違いが見えているからです。
また、その違いを認め合いたいという自由な存在だからです。その違いや不平等こ
そ私たちのチャンスなのかもしれません。
生きるということは、そういった違いや状況の変化の中で助け合い、より良い出会
いを果たしていくことだと私は考えています。

睡眠中には、覚醒時よりも高い頻度で、このようなレベルの世界と接点をもつこと
があります。
こういった経験を通して、私たちはすべての生命とかならずどこかでつながってい
ること、一人ではないことが理解できます。