夢から学ぶ究極の開運

 例えば「運」という文字。
 その形からも荷車をひっぱっているようなイメージです。これは運勢や運命とい
 う言葉でも使われます。
 どうして「運」という文字が使われるのでしょうか?

 例えば宝くじ。
 買わなければ当たらない、というのは本当は間違いで、当たるように買わなけれ
 ば当たらない、また当たるべき人に当たる、ということが本質なのでしょう。

 例えばくじ運の強い人。
 実際にその人から話を聞くと、懸賞や応募、研究はマニアックなほどまめに行い
 ます。
 幸運も、荷車を運ぶように、普段から地道な研究や努力をしていなければ得られ
 ないものかもしれません。

 宝物を運んでいても、食べ物のない場所にもっていけば、役にも立たず、土を運
 んでいても、それを農家にもっていけば喜ばれます。
 水を運んできて、うとまれる場所もあれば、お金と同様の価値になる場所もあり
 ます。
 良い物も、悪い物も、結局のところ「運」には変わりありません。

 「運」は運ばれてくるものではありません。
 私はいつも、それが悪いものであっても、良いものであっても、最後まで自分で
 運んでいるものだと思っています。
 すべて自分の体と同じように、自分の大切な持ち物です。
 結局、幸運も不幸もすべて自分自身の中から出ているのかもしれません。

 今はまったく役に立たない物と思えても、それをどこに運んでいくかで、状況は
 またがらりと変わってきます。

 運はあなた自身がもっているもの、それを活かすには、バイオリズムのように潜
 在的な自身の状態をうまくつかむこと、そのタイミングも大切です。

 たとえ今が報われても、報われなくても、いつでも次の場所、あなたの未来を目
 指し続けてください。