夢の世界の不思議
夢の門・夢の扉
古代ギリシャのホメロスの叙事詩の一節「夢の門」
角の門を通ってくる夢は正夢になり、象牙の門を通ってくる夢はいつわりの夢になる・・・
真実と嘘、現代の情報社会にも通じるメッセージです。
夢の門・夢の扉
古代ギリシャのホメロスの叙事詩の一節「夢の門」
角の門を通ってくる夢は正夢になり、象牙の門を通ってくる夢はいつわりの夢になる・・・
真実と嘘、現代の情報社会にも通じるメッセージです。
夢というものはまことに不可解で、意味不明なことを告げるものですし、
また人間には、その見た夢の全部が全部かなうとも限りません。
うたかたの夢の通う門は二つあって、
その一つは角(つの)で、もう一つは象牙(ぞうげ)で造られています。
夢のなかでも鋸(のこぎり)で引いて拵(こしら)えた象牙の門をくぐって出てくるものは、
実現しない無益な言葉を運んできて、人を欺(あざむ)きますが、
磨かれた角の門を通って外に出てくる夢は、
それを見た人には正夢となるのです。
ホメロス「夢の門」(『オデュッセイア』より) 北嶋美雪訳
ある日の出来事
これは私(筆者・梶原まさゆめ)が慌ただしい日々を送っていた時期(2004年)に体験した何気ないある日の夢の話です。
夢の内容はこのようなものでした・・・
目覚めると、部屋の外で騒がしく独り言をつぶやく誰かの声が聞こえてきました。
激しい口調で「チョウ○○…、○○チョウチョが…」などと聞こえてきました。
うるさいので窓から外を見ると、部屋の管理人の大家さんが私の部屋のベランダを見上げながら、うろうろと歩きまわっていました。どうやら声の主は大家さんのようでした。
耳を澄ましてもぶつぶつと「○○チョウ○○」以外、何をしゃべっているのかはっきりわかりません。
大家さんは私のベランダばかりを見て、しきりに先ほどと同じ言葉を繰り返していました。
はっと夢から覚めて、「いったいこの夢は何だ!」と思いました。
ご近所トラブルはなく住み心地も申し分ないので、思い当ることがまったくなかったのです。その時点では…
夕方近く、もう一度朝の夢を思い出してみました。
これまでの経験からメッセージ性のある夢だとわかっていたのです。
「意味のわからない大家さんの独り言」が鮮明によみがえり、それは「チョウ…、チョウチョ、○○ツウチョウ○○」といっているようでした。
急に花の絵柄のある預金通帳が頭に浮かび、まさかと思いながらそれを持って銀行のATMへ向かいました。
記帳をすると、自動的に引き落とされていたと思っていた家賃が、何と3ヶ月分貯まったままになっていたのです。
つまり、銀行側の自動引き落としの契約期間が切れていました。
翌日、大家さんに連絡すると「いつも問題なかったのにおかしいなと思って、ちょうど今日電話しようと思っていたところです」と言うのです。
大家さんは離れたところにいるので、普段顔を合わせる機会はなく、夢に現われるのも初めてでした。
夢判断・夢解きの要は自身との対話
このような夢の事例は、一種の霊夢、言いかえるなら「テレパシー夢」です。
霊夢を見る人は個人の資質や感性に由来するので、誰もが頻繁に見る夢ではありませんが、実は憶えていないだけで、意識をしないから忘れているということがほとんどかもしれません。
C・G・ユングに代表される象徴夢の中にはこのような事例が含まれています。
心的なイメージを反映する象徴夢には、潜在意識・精神面だけではなく、生理・肉体面、疾患の予兆まで示唆していることがあります。
また、さらに予知的なメッセージまで伝えていることもあります
単にワードで夢のシンボルを拾っても、あなたが見た夢全体の構造や意味は理解できません。
その時に一番大切なのは、夢を見た人・ご自身が「自分が見た夢との対話」をどこかで繰り返しながら意識の範囲を少しだけ広げることです。
ここが筆者・梶原まさゆめの夢判断・夢解きの要になります。
私の夢の鑑定・リーディングでは、夢主に代わってその対話のお手伝いを行なっています。
このサイトを通じて、夢と自分自身との対話の方法をみなさまにお伝えしていくことができれば幸いです。
死んだらそれでおしまいなの?
「死んだらそれでおしまい、何もなくなる」と言い切る人がいます。
宗教や信仰、思想の問題ではなく、その人自身のパーソナリティーや感性の問題かもしれませんが・・・
確かにおしまい!はい、その通りかもしれません。
でも何か引っかかるのです。いろいろな意味で・・・
これはかたちを変えて存在する「何か」に感応する現象があるのかもしれないという話です。
まず、私(筆者)が子供の頃から体験している実話をひも解きます・・・
私が最初に観た時、何かキラキラと光るヒモのようなものが天井に向かってゆらゆらと立ちのぼっていきました。
具体的には人の臨終の瞬間、それからも動物・小動物の絶命の瞬間にそれを見ることが頻繁に起こりました。
子どもの頃はたくさん動物を飼う機会がありました。
大人になって、人の臨終や動物の死に際に立ち会うことはほとんどはなくなりました。
ただ、日ごろ行く機会のある居酒屋で、魚の活け作りを施した魚の眼が、急に生気を失って白く変色するその瞬間に、ヒューと立ち上る眩しく細いヒモ状の光を必ず目にします。
これって何でしょう?
「死んだらそれでおしまいか?」ということを、自身の体験から、亡くなっていく方々の側に立って考えてみました。
心情的には自分の子どもや兄弟、遺された者たちのことを考える人が多いので、行きつくところは見守り先の天国や黄泉の国と考えるのが一番わかりやすいでしょう。
でも「死んだらおしまい」と考える人たちにとって、「天国や黄泉の国」はあり得ない世界です。
結局、死んだ後の世界があると信じる人も信じない人も、あり得ない世界を想像して、理屈や心情、想念(理想)だけで物事を判断しているにすぎないのかもしれません。
つまるところ、誰も本当のことは分かりません。
ただ、何かが変化している、かたちを変えている、ということだけは言えるのかもしれません。
物理学でいうと、物質が変化すると何らかのエネルギーが発生するということです。
この「紐のような輝く光」、不思議な光物が何か・・・
不可思議な光として、私の視覚に映るこのエネルギーの正体は、私自身にも正確なところは分かりません。
言いかえると、「生き物が死んだら、何かが別のかたちに変化する」ということが自然な回答ではないでしょうか。
土に帰るとか、生命の循環とか、そんなありきたりの観念的な世界観ではなくて・・・
では、変化したその先の世界は?
私はまだその先の世界へ行って確かめることはできません。
何らかの「境界線」、その瞬間を見ることしかできないのですから。
水が空気になるように、海から空の世界に移る時は、少なくとも住み慣れた世界からの大きな別れ・離別があります。
物質であれ、何であれ、変化した先の世界の環境は、今までとはまったく違ってきます。
言い方を変えるなら、死んだ後にはがらりと世界が「変わる」というシンプルなことかもしれません。
慣れ親しんだ世界を後にして・・・
ただ、それよりも何よりも、「死んだらそれでおしまい」という発想のほうが、私にとっては心情的にとても悲しいのです。
そこには「人生は自分だけが主役の映画のストーリー」としか帰結できない、センチメンタリズムやヒロイズム、エゴの強い幼稚さを感じるのです。
ここからが帰結ではなく、始まりの話です。
変わらないように見えて、ちょっとしたことで今の世界は「変わる」ということ。
では、「変わる」という現実的なことを夢判断・夢解きの歴史に交えてお話していきます。
その昔
荘周という男が蝶々になって野原を飛びまわる夢を見て目を覚ました。
あまりに楽しく、あざやかな夢だったので、実際に自分が蝶々になって野辺を飛びまわっていたのか、もとから蝶々だった自分が荘周として目覚めたのか、わからなくなってしまった・・・
「胡蝶の夢」として知られる荘子(中国の思想家)の話は夢と現実の世界の妙をうまく表現しています。
夢の現象によってかいま見ることのできる広い心の世界には、宗教や哲学でも語られる「魂」の世界のように、科学や理性だけではつかみどころのない霊的な要素があります。
蝶々のようにひらひらと舞うものという意味で、「魂」はギリシャ語でプシュケー(Psyche)といい、心理学(サイコロジー:Psychology)の語源にもなっています。
私が見た"キラキラと光るヒモのようなもの"というのは、この蝶々のようにひらひらと舞い上がっていくものに共通するイメージなのかもしません。
歯が抜ける夢をみると不吉?
猫を夢に見ると誰かが妊娠するかも、といったことが古くから語りつがれているように、昔の人たちは夢と現実、夢と未来との奇妙なシンクロの事実をすでに知っていました。
日本の平安〜鎌倉時代には、陰陽師(おんみょうじ)と呼ばれる呪術師が実在し、夢予知や夢の力を利用した呪術をおこなっていたようです。
北条政子が鏡を贈ることによって妹の吉夢を自分のものにしたと伝えられる「夢買い」も、陰陽道の呪術、霊的なコミュニケーション技術のひとつだったのかもしれません。
また、すぐれたタロット占い師たちは、カードの象徴的なイメージと同様に、夢の絵柄(イメージ)の中にも、依頼者の現実と未来の姿が潜在的に隠されている事実を指摘しています。
古くから多くの占い師が夢に関心をもち、夢解きや占いをおこなってきたのはこういった理由からです。
夢見は運命を予感、自身を知る術
古来から「夢占い」や「夢予知」として知られ、北条政子の夢買いの話に代表されるように、夢の中には吉夢や凶夢といわれているものがあります。
ふいの嵐にも静かな前触れがあるように、夢には近未来に起こる幸、不幸を恐ろしいほど的確に暗示してくれるという事実があるのです。
また、夢の世界は心理的、肉体的な影響を超えた、はかり知れないパワーを秘めた知恵の泉です。
もしも夢で世界をコントロールできるなら、私たちは運命に翻弄されることなく一生がおくれることになりますね。
夢のような話ですが、ぼんやりとした現実より現実的な夢の世界の話です。
夢と現実は二卵性双生児のように、顔も性別も違うかもしれませんが、生まれたところは一緒です。
あなたも時空を越えた神秘の世界、私たちの魂のルーツを探してみてください。
最も古い歴史を持つ「夢占い」
知識や経験ばかりではなく、夢を解く人の資質や感性をダイレクトに問われる技術です。
「夢分析」というのは、精神分析を目的に現代のお医者さんがつくったものです。
いっぽう「夢占い=夢予知」というのは、夢のメッセージを読み解いたり、自分の未来の姿を知ること、危険を回避することなどを目的に、古代から信憑性の高い、すぐれた占いのひとつとして知られているものです。
夢占いは大自然への畏敬を反映し、アニミズムと言われる精霊信仰、古代の占い師や祈祷師たちのコミュニケーションをルーツとして生まれたものです。
事実、夢占いや夢解きの歴史はかなり古く、それは古代文明にまでさかのぼること
ができます。
古代エジプトには、夢の解釈による占いを職業とする「夢解きの専門家」が実在し、その知識や経験を記した書物が現在も残されています。
さらに古代ユダヤや古代中国など、世界中には、夢解きに関する古い文献がいくつか存在しています。
ようやく最近になって、文字や書物を残さなかった人々の生活がわかってきました。
世界中の辺境の民族、有名なところではオーストラリアのアボリジニ、北米のネイティブアメリカンやマレーシアのセノイ族によって、夢の啓示を日常の生活によく利用していたことが知られてきています。
残念ながら、夢に何らかのメッセージがあることに気がつき、それを本格的に利用したのは、現代の精神医学者フロイトが先駆けではなかったのです。
精神世界においては、古代人の知恵や感性、自然とのコミュニケーション能力のほうがはるかにすぐれていたということです。
夢や心の世界は、物質や肉体を超えて、実はわたしたちの霊性とも深くかかわりがあるからです。
目の前の出来事は偶然ではないかも
空想や想像が可能なすべてのイメージは、きっどこかで起こっている現実、すでに存在している世界なのかもしれません。
美しすぎるもの、醜悪なもの、恐ろしいもの・・・
「あり得ないだろう」と思っている、想像したくもない最悪のイメージも含め、私たちが思い浮かべることができるあらゆるイメージは、すべてこの世界のどこかに存在しています。
過去、現在、未来に渡って・・・
初めて海外旅行に行って、想像の中でしかなかった風景・光景を目にして驚いた経験は誰にでもあるかと思います。
すべての出会いは偶然ではないのかもしれません。
私たちの空想や妄想、希望など、想念によって生み出される様々なイメージは、出口を求めて、常に目に見える現実の世界に出ていこうとしています。
それはあり得ないと思えることは、あなたが知らないだけなのか、まだ起こっていない現実の断片かもしれません。
未来のシナリオが描かれたものであれ、重大疾患を伝えているものであれ、夢のイメージというのはなんて不思議なものなのでしょう。
よく読者から「まさゆめさんの鑑定やその後の体験を通して、実際に何かを前もって知らせている夢や現象があることがわかりました。結局、運命っていうのは変えられないものなのでしょうか?」ときかれます。
これまでの私の夢予知の経験から、人生の大半は何らかの運命的なシナリオに沿って流れているようなのです。
道路を走る車の流れのように、進路の縦・横・斜めが交差して様々な出会いや出来事があります。
運命はあなたひとりの力だけで「変える」ことができるものではないと思います。
自身の潜在意識と様々なものが交差する世界の歩みのなかで・・・
ただ、運の性質として(うん=「運ぶ」とも書きますね)、良くも悪くも、本来の運は「変える」ものではなく「変わる」もの。
変わることで、車の動き、人の流れ・運び方が変わっていきます。
わかりやすく言えば、 天候が変わって人の気持ちが変化するように、地上の事情を超えたところで、流れが大きく「変わる」ことがあるかもしれません。
蝶にみちびかれるように
あなたの大きな出来事、小さな出来事の中にたくさんの人の関わりや支えがあることがわかれば、自ずとその意味がわかってくるかもしれません。
運命はどこかで「変わる」もの。
変わるということがわかれば、どこまでもこの世界を歩み続けてください。
散歩道の中で蝶にみちびかれるように、自身の運をありのままに受け入れてみてください。
運命は自分ひとりの力だけで変えるものではなく、歩き(走り)続けるかぎり、誰かと関わりながら必ず「変わる」もの・・・
運の性質は良くも悪くも、いつか変わるものです。
時が来れば必ず変わる・・・その時をあなたが見つけられるかどうかだけかもしれません。
陽の光の中で、ひらひらと舞い上がる真昼の蝶々のように・・・
角の門と象牙の門
蝶や蛾は、"走光性"といって、太陽や月・星の光を道しるべとしてうまく飛ぶことができるという習性を御存じでしょうか?
自らの思いで目標へと飛べるのではなく、はるか遠くにある太陽や月の光源を目指し、それを道しるべとしてバランスをとって飛ぶことができるのです。
太陽や月・星の明かりだけがたよりだったはるか昔の世界は、それが自然な世界観でした。
でも、人々が人工的に松明(たいまつ)や電気の光を生み出し、それによって遠くの月・星の道しるべを失った虫たちは、あまりにも近すぎる外灯に集まっていきます。
かれらは日々ぐるぐると人工の光に集まり、不毛な行動を繰り返しているのです。
私たちは道しるべを失った蝶や蛾ではありません。
冒頭のホメロスの詩の一節には、私の夢判断・夢解きの文法(解法)のエッセンスが含まれています。
正夢になるのは、自然の太陽や月・星の光を受ける、頭から生えている角が教えてくれるもの。
反面、雑夢になるのは象牙、牙が生えるところ、つまり口の中の陽の当たらない情報、または見せかけだけの俗な情報・・・
雑夢になるのは日々、目の前の食物(生活の糧)をせっせと摂り入れ、新陳代謝が激しく、移り変わりの多い日々の情報です。
角を照らす自然の光が導く世界は、すべての生き物の道しるべ・光源になります。
運命は簡単に「変える」ことはできないないかもしれません。
でも、ちょっとした光のかげんで大きく変わる可能性があるもの・・・
偽物(人工)の光と、本物の光・・・
それがホメロスのいう、牙の門と角の門の本質的な意味かもしれません。
人工の光でなく、私が見ているまばゆくてキラキラとした光・・・
それが私たちの運命の道しるべ、私には命の光としか思えないのです。