運について

「一富士、二鷹、三なすび」と言えば、吉兆をあらわす初夢として伝え
られていますが、これは、富士=無事、鷹=高く、なすび=成す(一年を
無事に過ごし、高く上り、事を成す)、単に駄洒落(だじゃれ)や縁起
かつぎに過ぎず、夢や幸運の本質をあらわすものではありません。

幸運の兆しとなる夢を見るためには、感性のアンテナを立て、日ごろか
ら自分自身のことに注意をはらっていることが大切です。あなたの幸運
の兆しが、ある日夢の中に現れていることがあります。

古来からスピリチュアルな世界では、私たちの霊的な実体を樹木にたと
えています。人の運命を樹木の成長として表現します。
種子は、光や風に触れて成長していきますが、樹木を形づくるはるか以
前から、未来の樹木の設計図を小さな粒の中に包み込んでいます。
遺伝子と同様、その種の中に、一生の青写真が描かれているのです。

スピリチュアルな世界では、すべての出会いは偶然ではありません。
どこに堕ち、誰を母とし、父とするか、それがあなたの人生の最初の出
会いになります。
さらにどのような資質を持ち、道すがら誰に出会い、どのような生育を
遂げるか、大きな人生のプロットがすでにできあがっています。

たとえば子供。
「宝物」とも言われますが、おかしなことに、私たちの体が大きくなっ
たり、大人になったとたん、ある日突然、まったく宝物とは呼ばれなく
なります。
つまり、大人になったら厄介な存在になり、さらにおじいさんやおばあ
さんになったら、ただのゴミになってしまうというのでしょうか。
本当は大人になっても、みんな大切に守り、守られる存在でなければな
らないはずなのに。
なにか変ですね。
裏をかえせば、これは子供を「半人前」と見て、人としての権利を認め
ていない、偏った意識の反映ではないでしょうか。
裁判でも子供の命を半人分としてあつかっています。
変ですね。
スピリチュアルな世界観では、子供でも赤ちゃんでも、「小さな人」な
のですが、社会という枠の中ではそんなシンプルなとらえ方はしないよ
うです。

スピリチュアルな世界から見れば、子供だけが宝物でもなければ、無垢
な存在でもありません。
子供は小さくても個性や資質、独自の傾向性やエネルギーを持ち、すべ
てを備えています。
すべてを備えていて、まだ完全な形を見せていないだけなのです。

様々な形をつくっていく変化のプロセス、それが私たちの運命です。

運の正体は、実はあなたそのものかもしれません。
あなたが種のころからすでに持っているもの、気がついたら葉をつけて
いた、花をつけていた・・・目には見えにくいけれど、精妙な因果関係
をともなった、とてもシンプルなものです。

運は偶然の出会いを装っているだけで、今、あなたの手で、あなたの種
子を育て、あなたの足で、あなたの船で運んでいる、もっとも本質的な
ものかもしれません。
あなたの大切な持ち物をどこに運んでいくか、誰に手渡すか、それを出
会いと呼ぶのかもしれません。

魂の表現の場である夢の世界では、その時の心や体の状態、さらに運気
まで、今のあなたのすべてを映し出します。
心細い人生の旅、使い方次第で、夢はあなたにとって、もっとも手近な
運命の羅針盤になります。

どんな運命でも受け入れ、自分と向き合い、自分の魂の可能性を信じて
みたいと思います。
魂は永遠です。
この一生で終わりではありません。
いつでも、今が始まりなのですから、焦らず、根気よく、未知の青写真
を描き続けばいいと思います。

体は燃え尽きても、あなたの魂にまた新しい可能性が生まれてくるでし
ょう。
本当の宝物をそこに見つけてみてください。

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