こんにちは森谷光夫です
1.勇気(有機)農業を目指して [1995/10/22]
[↓]
[↑]
自然の景観と豊かな大地に恵まれた日本。
四季のうつろいが心にしみ、今春を迎えました。
ここ天童は標高137米の準高原扇状盆地の形を成し、奥羽山脈の清流が注ぎ、稲田は健康な育ちと豊かな稔りをもたらしてくれております。
有機農業〜自然農業は、約20年以上も前からたゆみない研究の足跡があります。かつて有吉佐和子さんの「複合汚染」にあった、生命と環境にやさしい農、この私もその未来に希望をもつ百姓の一人です。
私達が生きていく上で、必要な生への源「食」。健康で安全性を基本とする農の探究に、多くの心ある方々のご支援をいただき、手さぐりの実践にも一筋の成果がみられるようになりました。
そうした農村、故郷の歴史や、新しい時代的な潮流を汲みながら、土作りを本命とし、堆肥と良質な有機物を施し、何万兆の微生物を育み、作物を育て、土と水と太陽、宇宙と関わってまいりました。
その関係の中から見えてくる普遍性を求めて、日々人々と語らいあらゆる生命体、植物とつきあいをさせていただきました。
私達にとって、「より安全な食を作る」、「生態系を守る有機農業を広める」、これはとてもあたりまえのことです。
人は頭で理屈をこねるより五感で理解した方がずっとよくわかります。
「本当においしいものには人を動かす力がある」と思います。食べる事は生きる事、生きている事はそれだけで有機的(生態系)の要因に関わっていることなのです。
限りなく物の豊かさを追求してきた産業社会が、人間社会が、資源と環境の壁にぶつかり、世紀末の混沌とした中で立ち往生しています。その壁を乗り越え、人々が永く生存していくために、自然と人間が共に生きていくため、また私達がかっこうにも何にもとらわれずに自然に生きていくためには今何をすればいいのか、個人の立場で考えてみたいものです。
近年、夏の夜、ホタルがとび、朝田の朝はクモの糸が銀の皿のように光り、秋空には赤トンボの群れとぶ風景がよみがえってきました。そうした普遍的原風景を胸にだき、希望と意欲をもって都市と農村の交流を深めていきたいものです。
農に生きる誇りと喜びをかみしめつつ、今新しい桃源郷づくりに汗を流しているところです。
よろしくお願いいたします。
2.今年の作柄と森谷果樹園 [1996/08/08]
[↓]
[↑]
今年の天候と作柄は、春からの雨が降り続く不順天候で結実不良の年でした。
果実に大切な開花期に肌寒く、雨が降り続き、受粉がならず、その悪天候の中で木成り完熟サクランボを作ろうとする時、出荷時期の曇天と雨は、サクランボ本来の味覚遺伝子(DNA)を出すのに障害となりました。
一部の方からの「コクが足りない」・「甘さが足りない」といったご指摘をいただきましたが、上記がその原因と思われます。私自身も、味に関しては何か物足りなさを感じておりました。
ちなみに木成り完熟佐藤錦の糖度は19〜24度のものを出荷対象とさせていただきました。比較参考用に例をあげると、スイカが12〜13度、玉ねぎが13度くらいとなっております。
果実(サクランボ)の表面には多数の気孔があり、果実が甘くなると、外の湿気や雨で砂糖が湿気を吸うのと同様に、甘い果実が水分や空気中の湿気を気孔や葉や根から吸収し浸透圧作用で甘さが中和され少なくなってしまいます。その結果、甘さと酸味とコクといった(甘酸適和)味覚を形成する要因が働き、雨年の果実は甘さ控えめとかダイエットサクランボ?になってしまうようです。
そうしたことを少なくするため、雨よけハウスをサクランボにかけ、味をなるべく損なわないようにする事と実割れ防止に務めています。
ただ、自然のもとで出来るだけ自然な方法で農をやる時、毎年の味は天候により左右されるし、自然な味でいいのかなぁーという気がしないでもないのですが。
ちなみにハウスの規模は概ね、
間口8m・高さ7m・長さ(のべ)500m
雨よけハウスサクランボ 70本
オーナーサクランボ 300本
となっております。
3.96年後半を迎えての所感 [1996/10/13]
[↓]
[↑]
近頃穀物市場が高騰を続けています。
世界の穀物生産量や相場輸入状況等がマスメディアから流れ、日本や諸外国で生産される畜産品の生産過程をこと細かに放送している。
食肉や卵を作るのに必要な輸入トウモロコシ等の穀類が高騰し、経営存亡の是非までに畜産農家を圧迫している。その背景には、かつての輸出国から輸入国に転じたことと穀物の不作が主な原因である。
四半世紀前の日本がそうであったように、発展著しい中国を含めた国々が、生活レベルの高まりと共に、畜産品を飽食したことによって、慢性的な食料不足となってきている。
品種改良された効率の良い豚であっても、1kgの肉を生産するのに最低7kgの穀類が必要とされる。
そうした情報を目にする時、命を支える食の意味や工業生産品との違いが大きくゆらぎながら見えてきます。
アメリカは自国の畜産が倒れても、穀類を自由貿易の元に輸出していますが、裏側に何かが見え隠れしています。
ドイツ、フランスを中心としたヨーロッパは、食糧安保を楯に輸出を規制しているのです。世界的な法としても、食糧だけは、自国を保護する為に良いことになっています。
今、お金を出せば高くても食糧は入ってきますが、買えなくなる時が間近に迫っているのです。そうした状況の中で食物の自給と自立を確保し、信頼しあえる有機的な関係が望まれているのです。
また、畑の砂漠化や人口増による食糧危機を含めた環境問題や生物進化の王者といわれ悪しくも君臨してきた人間が、経済至上主義をひた走り心を置き忘れてきたように思われる。その充たされない心を内外から転生する必要に迫られ、その活路を持続型農業等に求められているかのようにも見える。
普遍的に地域に行をしながら荒廃されゆく文明を原点に戻すには、文化(カルチャー・耕す)しかないようにも思われる。アグリカルチャー(農業)は心と土を耕す業であり、土をいじくりまわす子供がそうであるように、人々の心にみずみずしさが戻ってくるものである。
万物は土に生まれて土に還ることを基とし、自然と共に生きる暮らしを地域の中で広げると共に、町の人々にも新鮮なフルーツ・米(食の糧)と(心の糧)を贈り続けられたらと思っています。
広い世界で縁があり出逢った人々が関わりあいながら、草木土に宿る言霊に感動を覚えながら、自然にとけこんでいけたらいいなーと願っております。
4.木炭・木酢で人に優しいクリーンなフルーツ [1997/03/27]
[↓]
[↑]
96年冬〜97年冬にかけて、果樹(サクランボ・桃・ラフランス・りんご)の木を使い、手作りの木炭・木酢(もくさく)液を活用した、果樹生産に取り組んできました。
一昨年、仲間と共に作った自前の炭焼窯(かま)を、今年1月に新たに一基増設し、木炭と木酢の量産体制に入りました。
果樹の病害虫と土壌環境を検討してきた、天童川原子果樹倶楽部は、一昨年、福島の実践農家を訪ね、品質の良い桃を見ている内に、炭窯の存在に気がつき、様々教えて戴きました。その視察を元に、U字管を利用したオリジナルの炭窯を手作りし、果樹のせん定枝や間伐材を使い、木炭と木酢液の生産を始めました。
市販の木酢液は、コストも掛かるし、何を原料にしているのか分からない(広葉樹か?針葉樹か?)という不安もありました。炭窯は、10度の角度で2m×1m×1mの構造で、長さ10mの煙突を30度に傾け、試行錯誤しながら60kg〜100kgの木炭・木酢が採れるようになりました。
木炭は、田畑(果樹・野菜・稲)に使い、木酢液は200〜3000倍に薄め、土壌散布と農薬に薄めて散布したところ、苗の根つきが良くなり、病気に対しても効果は変わりませんでした。
これからは、木酢液にニンニクやトウガラシ・ハーブ他を漬け込み、炭には良質な有機質を調合し、微生物や小動物がたくさん繁殖するようなボカシ肥造りに努めていきます。
土壌への炭は、栄養にはなりませんが、炭の多くの気孔が微生物の宿となり、植物根(毛根先端)にVA菌根菌が活性素を供給して、微生物の棲みかと共生して、おいしい果物・米・野菜を作ることが出来るのです。
それは、先人が昔作っていた完熟堆肥も、微生物の棲みやすい40度位で低温発酵する、みそ醸造にあたります。すぐ容易に60度以上で発酵する腐敗型ではなかったのです。
今、古き業を訪ね、自然界の営み(野山の木々・土壌)から学び、あらゆる生命体の生理周期のメカニズムを探りながら、精神にフィットする農文化の業を積んでいきたいと考えております。
5.97年さくらんぼを終えて[1997/07/17]
[↓]
[↑]
初夏のさくらんぼをより完熟でおいしく、より安全に食べて戴くことを願い、皆様方に送り届けてから半月あまり、酷暑の初夏を迎え、ご身体をご自愛されてお過ごしでしょうか?。
お陰様で、佐藤錦を中心に4種類のさくらんぼを食べてもらい、7月16日にてすべて完売となり終了することが出来ました。
真心より、お礼を申し上げます。
出会いを求めて、97年春から進めてまいりました、さくらんぼ木のオーナー制度(FURUITS OF WOODS MORIYA OWNERS CLUB)に、多数の参加を賜りありがとうございました。
6月下旬〜7月上旬の週末を中心に、九州から東北のオーナー人(天の童)の方々が、来園され、楽しく想いを語り合った所です。
あったかい農文化の想いを、都市と田舎生活者の関わりあいを通しながら、「ホーッ」と静かに「ボーッ」と自然に創出される時空間が生まれる事を念じます。
そうした、食の出会いや、心の糧の交流により、よりナチュラルに、より永続可能な生命(エネルギー)ある@穀類、A野菜、B果物作りが、普遍日常的に供給されればと考えます。
生命ある食を創造しようとする時、土壌や樹木は、私たちの身体と同様なのではと思うからです。
私たちの体の内なる自然界(治癒力を含み)、無数の酵素やバクテリアが生存し、食物を分解し、細胞にエネルギーを補給しています。その微妙な関わりあいが生命現象を支えています。
だから、環境や、食物の健康と自然(農文化)が壊されるとき、人体の内なる自然も壊れるという関係になります。
その事は、とりもなおさず、農の現場(地球・土壌)でも、同基同源であり、微妙なバランスの上で保たれている事なのです。
そうした混沌たる大地から確かな鼓動を生みだすためには「私食べる人、あなた作る人」といった構図ではいけないと思うのです。
1個の果物やオーナーズクラブ、通信をかいした奇跡的な出会いに感謝しながら、都市提携者との生命作りの共同作業や、四季折々の山河での交流を深め、自分が自分である事を認識していけたらと念じております。
6.酷暑を迎えて[1997/08/11]
[↓]
[↑]
暑い日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?。
当天童も、今年最高気温を記録し、湿気がある酷暑となりました。
フルーツの森(moriya)では、米ヌカや貝化石等を調合したボカシを畑に施し、発酵と腐植が進んで、土に還っております。
また、雑草(幾多の良草)は、80cm位伸び、お盆頃に乾物質が増してから刈り取る考えです。
そうした幾多の良草を敷くと、雪どけ時にまいた、自家製木炭と木酢液が調和し、微生物が活達に働き、良い土壌を作ってくれます。
作物は土から自分が好きな時に養分を必要なだけ吸収することとなります。人は「成分で、窒素が何キロで、リン酸が何キロで・・・」と考えますが、土の宇宙、自然の方がうわてです。
7月22日に、有機農業をもモチーフにした映画「おもひでぽろぽろ」(宮崎駿氏プロデュース・高畑勲氏脚本&監督)の絵コンテの場所となった紅花畑と神社(右の写真)へフラーと行き、小一時間、涼みながら憩んでまいりました。
全国各地で、テーマを「生きろ!」とした、映画「もののけ姫」が、記録づくめの盛況の中で上映されております。映画館の空く頃に行こうと考えております。
今、果樹園では、桃やラ・フランスやりんごの手入れをし、一部発送しております。
私は、出会いを大切に、多くの方と語りたいと願っていますので、関わりのある皆様、夏から秋の山形は趣(おもむき)があります。ご来訪、ご来園されることを心よりお待ちしております。
7.大気からの思い[1997/09/22]
[↓]
[↑]
地球の気象をかえているエルニーニョ現象によってか、台風が日本をたて続けて襲来している。
地球の赤道海上で主に発生し、南半球と北半球に分かれていく大気の渦が、温帯低気圧や台風になり、オゾンバリア層の中で雷鳴をとどろかせながら発生しては消え、又生じ地球の幾多の生命を育んできました。
地球誕生から46億年、海が出来て雨が降り、原始大気におおわれた地球に、40億年前から生命の進化が海から始まりました。
DNAのらせんをめぐり、菌類や植・動物類は、緑の大地で奇跡を繰り返しながら進化してまいりました。
NHKで放送された「地球40億年はるかなたび」の中でも、地球誕生から現在迄、無数の生命の歴史とその中から生まれてきた人間が、これからどう生きていけばよいかを問うものでした。その番組の最後は、地球にも最後の時は来る(太陽の熱で海が干上がり生物は生きられない星になる)ことが語られ、人間は同じ限られた命を生きる存在として地球全体でとらえ、ともによりよく生きる道を探そうとしたメッセージであったように思います。太陽熱で海が干上がる事は、今、問題視されているオゾン層破壊も一要因でもあります。
地球全体を1個の生命体としてとらえ、限られた命を生きるということは、大きな宇宙で、小さな地球や私たち人間も虫も同じであり、同じ時空を生きるものとして、お互い尊重且つ大事にしていけたら素晴らしいことだと思います。
命が、その与えられた生を良く生き抜くということを、多くの人が考えたら、もっと違った社会環境ができると思います。
限りなく物の豊かさを追求して来た社会が、哲学心を忘れて、無機的に関わっている様に思います。
本来人々が求めて来たみずみずしい心を、宇宙や自然に照らし合わせて考えて、戻していけたらと思っています。
8.新羅万象に心ときめいて '98冬〜春[1998/05/03]
[↓]
[↑]
雪化粧した冬の夕暮れ、人気ないモノトーンの風景を別世界の様に見ながらたたずんでいる間に時は過ぎ、果樹の園にも暖かい風が吹き渡る頃となりました。
待ちわびた樹木の生命(いのち)が、にわかに活気づき、桃はピンクの花を咲かせ、さくらんぼは純白に身をつつみ、りんごはひかえめに紅をさし、気品漂うラ・フランスの小さな白い花達は、新しい春の訪れを祝うかのように咲きほこっているようです。
山も里も日増しに緑を濃くし、その眩しさの中に五季(春露夏秋冬)の彩りが、あざやかによみがえり、豊楽なる想いをかけ巡らせてくれます。
今年も「ホッー」と「ボーッ」とできる時空間と、あたたかい人と食の出会いを通しながら皆様とご縁を深めて行けたらと願っているところです。
1個の果物や通信交流等を通し、心の糧と命の糧を、どおしたかたちで送り届けていけば、ベストなのか考えながら・・・。
又、時代背景にある私達の生き方と暮らしと経済はどうあるべきかも考えなければとも思います。経済至上主義「規制緩和、自由化、市場万能主義」といわれ、物の豊かさを追求してきましたが、金融破たんにみられる社会構造の崩壊、人間社会のゆがみとひずみ、どうしたらいいのでしょうか。
今後の向かうべき指針さえみえにくく、先の読めない混沌とした中で、おぞましい事件が多発し立ち往生しています。しかし、根っこにある現象は、どこから発生して起きているのでしょう。
それは教育、政治、経済、人の心根、ありとあらゆる源基は多く存在しないと思えてなりません。
これまでの世界市場優先主義は、私たちの暮らしにどんな影響を与えてきたのかちょっと考えてみたいものです。全ての生きものが、種のそんぞく、可能性を含めた諸課題が山積しています。
化学文明が、廃出して来た環境ホルモン、ダイオキシン、クローン、バイオ等、解決する課題があり、倫理観をもった基準(ものさし)作りにかかっていると思われます。
人々が永く生存していくために化学と自然と人間が、人と人の関わりで共に生きていくために、今、なにをすればよいのか、個人の立場でも考え実践していかなければならない時期に入って来ていると思います。
山河ある四季の美しい日本列島、夏の夜ホタルがとび、秋空には赤トンボの群れがとぶ風景がよみがえってきました。当地の清流にはかじか蛙が鳴き、鳥がさえずり合う空間があります。
自然の営みを見定めナチュラルで透明な関わり合いを続け、本来、人々の胸中にいただいている、心と風土(水、光、土、気、風)の原風景が、原点回帰されながら、発見、醸成されていく事を願っています。
9.地球の食物連鎖[1998/07/22]
[↓]
[↑]
食物連鎖は始めも終わりもない命の循環、命が命を食べるという命のサイクルで組み立てられています。
私たち人は、動植物の命をいただいて自分の命を維持しています。草木の葉、枝、花、実、樹液、幹などの生体と死は、地上のバクテリア、カビ、キノコ、草食動物、人の餌となり、それらの生体にとりこまれます。そしてその動物の生体、死は、肉食動物の餌となり、また新たな生体にとりこまれます。
食物連鎖は光合成から始まり、最初ごく限られた原始微生物が太陽のエネルギーを「食物」という有機エネルギーに変換いたします。
その微生物と植物を支えているのが土壌です。すなわち、土は地上で命を支える食物連鎖の要となり、同時に生態系をも完成しています。
地球の生態系は水圏、大気圏、土壌圏に大別され、実際にはこの三圏が密接に絡み合って気候風土(光、水、土、大気)を作っています。
食物連鎖の要となっているのが土壌圏ですが、その上に大気圏、廻りに水圏、そして内下部に多量の空気と水が入っています。
土の中ではミミズなどの大型の小動物から小型の原生動物、さらに数え切れないほどの微生物が同居生活をして、平和な生態系が完成されているのです。
微生物の種類と数はよく肥えた土ほど多く、ふんわりと生きた土だと容積の60%以上は空気と土壌水で、土は隙間だらけの物体です。一掘りの土の中には地球全人数の数を超える数十億の微生物が住んでいます。
ですから、目に入る有機以上にミクロの世界をひもとくことが需要です。
よい畑の土1g当たりには数億のバクテリアと数千万の放線菌、数百万の原生動物、数十万の藻類、菌類が同居して私たちの命を支えてくれています。
人も自然の中に立ち、循環することを本分とし、実践していかなければと考えます。安心、安全を口にする一方でゴミを大量に出したり、山を削り宅地造成したり、環境に負担をかけ生活している。環境を悪化させれば、そのしわ寄せはいつか私たちに返ってきます。
これからも、土や水にたくさんの微生物が関わっていることを再発見する川遊び体験や田舎体験を通して、自然の環境や食べ物を関連させて考える機会作りをしていかなければと思います。そうした体験が、まさに今、人の基本となる情操心を作ることや社会各分野で処方箋になると思えるからです。
10.幼少期から・・・[1999/05/05]
[↓]
[↑]
私達が幼少の頃、庭の柿の実を採る時には、全部採ってはいけない鳥のために少しは残しておくもんだと、いわれていた。又、庭先で飼っていた老鶏の命を断ち、羽根をむしりとっている人に「むずこくて、くぅわんない」といったら「そう思うごんたら、みんなたべるごとだ」といいながら、肉、内臓、皮をみごとにさばいていたことを思い出す。
もっと食べようとした柿も、頭によぎる鶏の断末声も、自然の中で生きた証として身体に生き続けています。
今、鶏達は、工場ラインで命をたたれ、肉はパックに入り、魚は切り身になって店頭に並んでいます。そこには「いのち」や「自然からの恵み」のありがたさを感じにくいし、命を大切にしようという感覚は生まれてきにくいものです。
せめて、私達の心の中に生きているこれまでの生活体験から、自然への畏敬心をなくさないことを心がけていかなければと思います。
生活体験や環境風景から私達の中に入り伝えられたものがたくさんあります。たべものを食べる前の「いただきます」の意味、たべものの生命を「いただき」己が生きていけることへの感謝のことば。
里山や雑木林から生ずるそよぐ風、土の匂い、広葉樹林の中の木漏れ日等、目を閉じると、いっぱいの叙情といいもしれぬあったかいものが胸に立ち昇って来ます。
また、夏のギラギラ照りつける日の畑の中で食べたトマトやキューリの食感、すばらしい旬の味がありました。
一人で入った里山、木々や笹のすれる音、静寂な刻、幼い頃日常の遊びや暮らしの中に五感で感じられたことがたくさんありました。
いつのまにか日常を重ねていくうちに意識から遠ざかっていた魅力ある自然、今はあえてそこに求めていかないと体験できなくなりつつあります。
人々の願望する自然回帰が、流行のアウトドアライフやグリーンツーリズムといったことに表れています。
遠くなっていく自然との距離をうめ、自分史の確認と生き方を探る時に、それらの情景が強く関わってきます。
そんなことから、普段の生活の中で求めながらも体験できない人のためのファームステイ、農業実習を通して、ゆとりある豊かな「農のある暮らし」をしたいとも考えます。
実際の農作業や近隣の山河から見えてくる環境、食、地域、家族、生活、文化を求めていきたいと考えます。
今まで車で通っている道のりを歩いてみるのもいいでしょう。
プランターにミニトマトやパセリを育て、自分なりの収穫祭をして、想いにはせるのもいいでしょう。
それらは「いのち」と「くらし」を見つめるいい機会と動機づけになるだろうし、ワクワクとする生き方に連なっていくのではないでしょうか。
まずは、何かしてみっか、やってみっか。
11.拝啓[1999/09/28]
[↓]
[↑]
いよいよ秋めいて来て、実りの秋を迎えますが、いかが御過ごしでしょうか。当天童は、台風一過で、これから晴れる日が続きそうです。台風と秋雨前線は、日本列島を潤し、命水は木の葉をしたたり落ち、土に浸透し、豊富な硅酸ミネラル分を供給してくれています。安全で美味い食糧が注目を浴びる要因は、そうした環境風土にあるようです。
目の疲れに良いと言われる「アントシアニン」を多く含んだブルーベリーが人気を呼んでいますが、多くの果物にも色素源として含まれています。
私達は、職場でコンピューター、家に帰ってテレビやインターネットで目を酷使する日常です。又、ありとあらゆる電化製品から生ずる電磁波も同時に浴びて、体液のバランスがくずれて酸性化しています。
命ある果物には、脳細胞や血管細胞、体細胞の活性酸素を除去するポリフェノールがたくさん含まれています。あなたの大切な身体を、自然生理学をひもとき、どうぞいたわって下さい。
とにかく暑かった夏、長雨で出来なかった稲刈りも、天童市議選とともに真っ最中です。杭がけ自然乾燥をし、半月後に99年新米として出ます。
夏の疲れを、新鮮なミネラルたっぷりの有機農産物でとり除き、99年秋、冬、その後のシーズンの生活文化のビジョンをプランニングをし、有意義な日々を送られることをお祈り致します。
フルーツの森、森谷果樹園(Woods of Fruits) & Owners Club Moriya
代表 森谷光夫 ( E-mail:CQE05655@nifty.ne.jp )
12.はぐくむ[2000/07/30]
[↓]
[↑]
文部省の生涯教育審議会で、青少年の「生きる力」をはぐくむ地域社会の環境の充実に「生活体験、自然体験が日本の子供の心を育む」として発表。平成14年から完全学校週5日制の実施に向けて、緊急施策の提言を行いました。その中で重視されているのが、子供達に生活体験、社会体験、自然体験の機会を充実させることです。
特に、自然体験については、自然の厳しさや恩恵を知り、動植物に対する愛情をはぐくむなど、自然や生命への畏敬の念を育てたり、自然と調和して生きていくことの大切さを理解する貴重な機会と位置づけています。その中でも農業体験については、農業の重要性や苦労を知るだけでなく、働くことの大切さや環境を守ることの意義を学び、毎日口にする食べ物あるいは健康について考えるきっかけづくりとしています。
農業は人間と自然とのコンビネーションによって成り立っております。人間のエゴが過ぎても自然が勝ちすぎても農業は成り立ちにくいものです。「緑の革命」は農薬や化学肥料を多投し、生産量の増大、また省力化のみを追求した農業で、地球環境の破壊を招いて来ました。だからといって、何の技術ももたず、いたずらに大地を耕し種をまくだけでもいけません。天候、土壌、動植物を観察し、現象に生理学を学びとりたいものです。
いずれにしても、人や子供達の育成の場と成り得るには、バランスではないでしょうか。農家、農村が有する国土、環境保全機能が評価されると共に、心の重要性が少しずつ認識されるようになってきました。農水省の方向性、また文部省の方策をみる時、身近な環境や農業の分野から人々に伝えていける時代が到来したことを喜ばしく思います。
2000年夏も村の中を川が蛇行し、豊かな水は岩を洗い、水性動植物を育みながらゆっくり流れて行きます。子供達は瞳を輝かし、ずぶぬれになりながら昆虫や川魚をおい、大地のつながりと心の解放を求めて今日も川遊びです。
13.里と米から見える[2000/10/10]
[↓]
[↑]
昨年に続き今年も天童は暑い夏秋でした。ここ数日、霧の朝で寒いくらいです。いつも川向こうに見える田畑は、深い霧に隠れてなにも見えません。
そんな日はきまってよく晴れて、楽農日和となります。つき抜ける青空に稲杭が整然と立ち並ぶ情景に見入ると、年代を超え、いいもしれぬ温もりが薫風とともに五感に立ち昇ってまいります。
土壌のミネラル(命)と水と太陽の恩恵を得て実る一粒一粒のお米は、艶やかに輝き、口の中で膨らむ独特の風味、歯ごたえは格別なものがあります。
長く日本の生活文化を支えて来た源は、稲作でありお米でした。しかし、米余りの為生産調整を求められ、草ボーボの田畑が最近目につくようになって来ました。田畑の崩壊とあいまって、都市や農村部に限らず、人の関わり、地域のコミニティーまでも崩れつつあるようです。
稲作は日本の国土と人々の食糧の基(もとい)であります。人は土と離れては成りたっていけません。土壌を守り育てる事は、自然環境と人類社会を永く保ち守ることにつながります。
生命をつむぐ食物生産は、出来るだけ自然に、より安全に作りたいと考えています。人の心と身体の正常な機能を生みだす自然農法移行栽培に今後も取り組み、有機の輪を広げて行きたいと願っています。
14.有機認証[2001/05/02]
[↓]
[↑]
数年来、有機農産物について学び実践する機会に恵まれました。
市場食品の味や鮮度、健康、安全性などに対して消費者の関心が高まるようになり、多くの食品に統一された解りやすい表示を行ってほしいという声が高まっていました。有機農産物についても、少し有機質肥料を使用しただけで「有機栽培」等と表示するなど、表示について混乱を招いてきました。
そうした背景の中、2000年6月、農水省JAS法(農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律)が改正され、有機農産物と有機農産物加工食品に検査認証制度が導入されることになりました。農水省認可の認定機関による検査を受けて認定されなければ、「有機」という表示は2001年4月1日からできないことになったのです。
「有機」、「オーガニック」の表示が氾濫し食品が流通していることに対し表示に信頼性をもたせるため、又農産物が国際的に流通する食品に共通の規格をもつことが求められるため、認証制が強制力のある形で導入される事になったのです。それまでの「有機」の基準があいまいだったことによる混乱が大きな背景であり、適正な表示は消費者の購買選択の誤りを防ぐようにはかられています。
しかし、生産者と消費者の声は制度に反映されたのでしょうか。多くの複合小規模経営の農家にとって有機認証にかかるコストは大きな負担であり、高温多湿な日本の風土では有機栽培の大規模化は困難であり、各地域で風土に根ざした生産方式と消費者との契約に支え合いがなければ成りたちにくいものです。
そもそも有機農業、有機農産物は何なのか、昔の農業であり、自然景観に配慮しながら水や空気や土壌で生産者と愛好者の身と心を健康にする元気のある食物を作る方法だったように思います。安心で安全な食べもの供給は大切ですが、化学物質使用の有無にとらわれすぎると、確認出来ない農産物が大量に輸入されてまいります。
これだけ自給率が下がって、食品の輸入量が少し途絶えればもろに影響を受けてしまう食料依存国日本です。おまけに輸入農産物の大攻勢で、価格低迷は農業人を減らし、減反のもとに荒地が拡がっている状況です。国際経済活動の中に食べものが、貨幣価値の大きく違う渦中に放り出されることに、不安を感じずにはいられません。食の基本は地場でとれたものを自然の営みのように循環させるのが一番です。
宮崎監督のアニメ映画「もののけ姫」、「天空の城ラピュータ」、「風の谷のナウシカ」など見る機会がありますが、根底には自然との共生、大地、土の尊さを訴えています。「天空の城ラピュータ」のシータが「人は土を離れて生きられない」と訴える場面、「風の谷のナウシカ」では、人間に害があるフカイという菌や虫たちが、人間の壊した自然(特に土)を再生している事が明らかになる場面など、記憶に残ります。
そのような想いで、私達生産者は愛好者と意志疎通をしなければと感じています。たとえ口下手でも懸命に話すと、農業の多面要素が話題となり楽しく新鮮に関わり合えるかもしれません。
多くの方々に来園してもらいたいと思います。いろんな提言を受け入れ、みんなの思いと顔を思い浮かべ、自然農法、有機栽培の生産物を育てたいと願っています。
15.張るの春[2002/05/02]
[↓]
[↑]
雪がみぞれに変わり、そして春光に木々が照らされ雨が降るようになると「春だな」と感じる。土手の土筆やふきのとうも顔を出し、それぞれの春を迎えた。
この時期、入学、進学、就職、転勤とそれぞれに環境が変わり、夢や希望、そして不安が入り交じった複雑な想いになる。そんな、ドキドキ、ワクワク感は昔も今も変わらない。
内気な小学生時代、外遊びは得意だったが、勉強はからっきしだめだったので、春は不安でいっぱいだった。
中学校の入学式は前から2番目、真新しい制服を身につけ、男女ともお互いを意識するようになる。卒業して1ヶ月もたっていないのに違う何かを制服に感じるのだろうか。
高校に入ると髪をしっかり整えバイクで通学していた。そこの倫理社会の授業で、哲学者の存在を知り、虚と実の違いを断片的に生活の中で体験したり、抽象的に日記につづっては具現化したりでかっとうしていた時代、時代小説や哲学書にはまり、坂本龍馬や三島由紀夫等を読んでいた。
そして晴れて社会人へ、親ほども年の離れた先輩と一緒に仕事をする事にとっても緊張しきっていた。学生の頃とは違い、自分一人で考えなければいけないことが多く、毎日ハラハラの連続だった。
あいまって、地域活動や演劇も連日連夜、会合、けい古が夜更けまでもたれ、会社の稼働率や標準化作業、均質、QC、マニュアルも多く、登社拒否症状態でした。
いろんな体験の春があり、生活の方向、哲学心、好奇心を育んできました。
今年も張るのある春が来ました。
樹木の芽吹きと開花が、駆け足でいっせいに訪れ、ドキドキ、ワクワクの楽しみの春、背すじを伸ばして森林浴でもしましょうか。
山あいで器を創り、食の極みを追求した魯山人の星学寮を天童の地へ・・・・・。さてさて今年はどんな春になるのでしょう。
16.2002盛夏[2002/08/01]
[↓]
[↑]
日本人のふる里、農村にも暑い夏が訪れる頃となりました。山裾から入道雲が湧き昇り、プリズムの川面に銀鱗が光りおどっています。風土の恵みを受けた植物達もパンッと水気をたたえ、凛と太陽を向いて穫り入れを待っているかのようです。大自然は、今年も迷うことなく淡々と時を刻み、暑い々夏を迎えたのです。
私達が生まれ育った故郷の地に、生活文化が時代の潮流と共にゆっくり進化して行くように、遠い昔から培って来た歳時を継承し創造しながら具現して行く人々、何事もなかったかのように四季のうつろいの間で営々と大自然に還って行きます。そんな生命輪廻の仕組みの中で生かされている事に、この頃気づかされます。
私達は生命をつかさどる米や野菜や果物等を栽培しておりますが、自然と作物と一体となって生育課程を観て、ミネラル、多元素たっぷりの健康食物、機能性食物を作っております。身体が元気になり、健康で充実した感動の日々を送ってもらう事を願いながら、清浄な水や風味や有機栄養素を光合成作用で食物に詰め込んでいるのです。
肉体と心の維持に欠かせない食ですので、遺伝子組み換え食品やBSE等の問題を含め生産現場との顔の見える関係が必要になって来ています。農業栽培体験を通して、動植物と土壌との共生やスローフードの考え方が育まれ、生活文化へつながればと気待するものです。
作り手である生産者と食していただく消費愛好者といった関係の垣根をとり、生活者ひとりひとりが「農」や「食」を自分の生きていくテーマとしてとらえ、交流や体験学習で信頼関係を築く時代がきています。文化の始原である農と食は、これからますます重要になり、世界各地で起きている紛争の原因を良くみると、食料確保であることが多く観られます。
食を考える事は、人類の種、そして地球、惑星に共に生きるすべての生命を考えることにつながります。魯山人が食の極みを追求した山あいの星の見える高台の星学寮は、食材に合わせ器を創作し、自然の四季の調和した宇宙曼陀羅の時空間ではなかったかと思われます。
現代、経済構造や生産現場が急激にシフトされ、グローバリゼーションの波が寄せておりますが、自国の伝統、環境風土は守りたいと願っています。生命を紡ぐ食べものを自分達で作り食べる事の意義を唱えながら、明日の子供達に安全で健康な景観、歳時を残し守ってあげたいと思います。
2002年盛夏、38度の真夏日に、蝉と子供達で山に登りました。入道雲が立ち、眼下の清流が暑く蛇行し、ゆったりと何事もなかったかのように流れて行きます。
17.分析[2002/10/05]
[↓]
[↑]
秋本番の収穫の秋を迎え、稲刈りを終えたところに台風21号の強風で、りんごとラ・フランスが大量に落下いたしました。今、落ちた果実を拾い集め処分し、倒木したサクランボやラ・フランスの木々や、壊れた小屋の後片づけにおおわらわです。
戦後最大級という台風に、被害を数時間で受け、春の整枝剪定から愛情を込めて、サクランボ、桃、ラ・フランス、りんごを作ってまいりましたが、自然の強い力に恐れをなしています。
マスコミで報道されている、野菜とくだものの一部から、無登録農薬のダイホルタン(カプタホール)とプリクトラン等が残留検出された記事を見て、不安に感じた方も多いかと思われます。外国輸入産のホウレン草等や肉の偽装とあらゆる場面で問題となっております。
しかしながら、当園では、生きる事のポリシーを大切としてとらえ、安全で健康な機能性食を創ることを心掛けており、土壌の微生物と小動物への影響に考慮して最小限の農薬散布を10数年前から取り組んでいるところです。
その取り組み過程で、炭焼き窯を9年前から作り、土壌微生物の住み家として木炭を土に還元し、木酢液はカニガラのキトサンやニンニク、唐辛子等を入れ、抗菌力と害虫の忌避効果をねらい使用しております。
したがいまして、問題となっている残留農薬は、桃、ラ・フランス、りんごのいずれの果物から不検出の成績書をいただいております。他の種類の残留農薬も出ない最小限の散布に心がけてまいりました。
又、土壌の健康、安全度を調べる土壌検査を5月に行いましたが、理想に近い成績書をいただいておりますし、日本食品分析センターにより機能分析試験を以前より行い、安全、健康度だけでなく、味、品質を高める各種分析試験をこれまで実施してまいりました。
以下、各種分析試験、項目を表示いたします。
残留農薬検査
桃 残留農薬 不検出 ┐検査機関
ラ・フランス 残留農薬 不検出 │(財)千葉県薬剤師会検査センター
りんご 残留農薬 不検出 ┘(株)エコプロ・リサーチ
土壌検査診断書(自然農法文化事業団)
自然に近い、良好な指標が得られました
機能分析試験((財)日本食品分析センター(東京都渋谷区代々木))
カルシューム
カリウム
ビタミンA(ルチノール)
βカロテン
総アスコルビン酸(総ビタミンC)
リン
以上、本年も安全で健康なくだものを生命をつむぐ食として、より一層自然豊かな、味、品質となるよう努めてまいりますので、これからも宜しくお願い致します。
2002年10月5日 FRUITS OF WOODS OWNERS CLUB MORIYA
18.2003春 輪廻(りんね)[2003/05/01]
[↓]
[↑]
屋敷裏の高場にある地蔵尊境内の桜が、西風に桜吹雪となり内庭に舞い踊っている。空はあくまでも高く青い・・・。茶色っぽかった周りの山肌が、一雨ごとに芽吹き、萌黄色になり、しだいに新緑が鮮やかな季節へと彩られて行く。里山の樹間を散策したり、川の瀬音をきいたり、豊かな自然と隣り合わせで暮らす楽しさを知る素敵な季節の始まりだ。
先日、唐突に子供達に「いのち見たことあるか」とたずねたことがある。しかし答えが返ってこなかった。「これ、いのちだ!」とお米と芋をさし出したが、キョトンとしていて反応がない。間あって、ある子供から「いのちっていうのは、人とか犬とか動物にはあるげんと、米や野菜などにはねぇー」
と反問されてしまった。
そこで、毎日食べているご飯やおかず等がみんなの身体をつくり、他のいのちをいただきますーといいながら食べているんだョーと解り易く説明したつもりだったが、けげんそうな顔をしながら帰っていってしまった。
今年度より、小学生と中学生を対象にした農業塾や体験学習、食と農について教育を推進する事が決まりました。食育と農育は、生きる力と情操心を育む上で重要であり、今後、体験農園の普及、都市と農村の人々の交流を促進するグリーンツーリズム等が進められて行くと思います。
農業は大自然から学び、食の農は春に種をまき、芋は潜芽をつけ、分割して土に植えつける。今年も、決まったように伝達されて来たいのちを育てる作業が行われようとしています。その種には、命を伝達するDNAゲノムが整然と配列され、種を育てる土壌と微生物、雨、太陽光、二酸化炭素、風土
のすべてが密接に関係しております。
食べものと健康、残留硝酸態チッソと病気の関わりなど、食べものとの因果関係は結びついており、「いのち」を支える食材は安全で機能性にすぐれたものでなくてはなりません。社会問題となったBSE(狂牛病)の発生や産地偽装や、加工食品の食品添加物等、食品の安全に対する信頼が大きく揺らいでいます。
今、生命をつかさどる産業の再構築はまったなしであり、山形の生産地では、食材へのトレーサビリティ(追跡可能性)を図り、地域農業を守る為、指標に向かって活動を開始いたしました。
世界の中の日本、グローバル化した中での物流、利益追求の食材輸入産業は、ひたすら効率化を求め、農村の過疎や、自給率40%等の様々な問題をはらみ、多岐にわたり連なっている事に気づかされます。そうした現象は、都市、地方に限らず、暮らしと食が切り離されてきた要因ですし、農あるく
らしが遠ざかったことでもあります。
それらを解消することを願い、天童の星学寮(交流舎)から田舎の事柄を解り易くより深く、実践活動を積み重ねながら発信して行きたいと考えております。
CONTENTS プロジェクトZの創
バイオマスバレーの進
ジャズNANGO村の学
2003年天童星学寮からの提案 FRUITS OF WOODS MORIYA
19.それぞれの時[2003/10/05]
[↓]
[↑]
みなさんこんにちは。6月のサクランボに始まって、四季折々に、おいしい果物や山の幸に恵まれている、自然豊かな里の森谷です。
今年は天候不順で、植物達にも異変が生じ大変気をもみましたが、なんとか実りの秋を迎え、ホッとしているところです。
季節のうつろいは早いものです。
雪解けの早春には、樹木の根穴けで冠雪が消え、清水が流れとなって古里の田畑をうるおします。
冷夏には、弱光の日陽しを葉面いっぱいで受けとめ、ひたすら光合成をして、でん粉と糖を子孫のために果実に貯える。
秋には、待ちに待った実りをもたらしてくれたお天日様と風土に、感謝しながら忙しく穫り入れる。
冬には、山々の水墨画を見ながら、枝に積もった雪をかいて、木々と時空に想いを巡らしては、温泉に浸かりながら、炭焼きをして春を待ちわびる。
「OWNERS CLUB moriya」の1年は、こんなふうに、ゆっくりと自然にとけこみ流れていきます。
植物や昆虫、鳥、各々生命の時間があるように、動物には動物の時間があり、それぞれに時の流れが違います。出来ることなら出来るだけ、彼らの時の流れに合わせて、アグリカルチャー、心の耕生活を楽しんで行こうと思うようになりました。
気候の変動があっても、自然の摂理を大事に受けとめ、自然を活かしきる。土と植物の生命力をより高め、安全で健康な食を育てながら時を過ごす。
そんな、日々の時を大切にしたいと思われる方、機会を見つけていらして下さい。里山や果樹園をのぞくと、そこには、息づく植物や動物や星達の、静かでゆったりとした時空間が垣間見られるかも知れません。
時、出会いの里 moriya
20.暖[2004/04/30]
[↓]
[↑]
4月も末なのに5分咲きのサクランボやラ・フランスの花に雪が降り積もってしまった。ここへ来て、季節はずれの強風や冷たい雨が連日降り続き、とにかく寒い。今の時期、果樹は一番大切な結実生育ステージなので、大変気がかりである。例年受粉をして結実の手伝いをしてくれる地蜂達が活躍する
のだが、強風と寒さで極めて少なく、花嵐舞が今年は見られない。
冷えた朝、丸太小屋の薪ストーブ(アンデルセン)に火を入れようと新聞紙に点火し薪をつっこんだが、勢いよく紙は燃えるがしだいにブスップスッと鎮火し煙くなる。おかしいなーと紙を足すがなかなか燃え広がらない。何回か繰り返しているうちに、丸太小屋は演劇舞台のスモークと化してしまった。
そこでアンデルセン内の木々を全部取り出して、たまった灰と7メートルの二重煙突のススを取り出すことを決心して掃除をすることにした。案の定、大量のススが煙突内にへばりついていたのか、上部からドーッとススが舞い落ちてきた。
十能(ジューノー)で灰とススを何回か掻き出し、各パーツもきれいにして空気の流れを良くしたところで、再び手順にのり新聞紙に点火し薪を入れ始めたが、今度は煙突上部に煙がスゥーと吸い込まれていく。続いて太めの間伐木や剪定枝を入れると、木孔に蓄えられた水気が弾けるのだろう、パチッパチッンと音をたてながら柔らかな輻射熱が冷えた身体に静かにジンワリと入り始めてくる。
果樹のサクランボ、桃、ラ・フランス、りんごの手頃な間伐材は、アンデルセンの薪になり、太いものは冬場に行う炭焼きの材料になったりする。少し昔、枯れ杉葉や葉タバコの幹は硫黄をつけたつけ木(点火剤)で、里山の木と炭鉱等が大事で貴重な火力源であった。
自然の火力で朝ご飯を釜で炊くので、決まって釜底にはおこげが出来る。それにタマリ醤油を垂らすとそれは香ばしく何よりのご馳走で、家族で囲む円い茶府台は、良き時代の日本であった。又、水も薪も貴重だったため、共同もらい風呂を近所持廻りで行い、鉄砲、五右衛門風呂を湧かしては茶菓を戴きながら近所づきあいをしたものだった。
だから茶の間は地域情報交換の場で、老若男女いれての関わり合いは、農文化の結(ゆい)縁(えん)の調整や案内の場であり、生きた情操教育と日本の美意識、モラルの醸成される時空間だったに違いない。そんな柔らかな温もりの時を共有した先人を懐かしく想い浮かべる機会がこの頃多くなった。
今、IT、サイエンスが高速で進化して、伝達情報、ナノテクノロジーの恩恵をどこでも享受されるようになりました。これまで、人々は無体験だったバーチャルエリア(仮想空間)に漂流し、実体験の無い関わり合いが尚希薄になって行く傾向にあります。
かつて日常生活の中から、文化、モラル(徳)、美意識が育まれ、大自然の里山、川が連綿と堆積し、創り得られた風土や人格形成があった。有機的な地域の有用資源を再認識し、人生一瞬の時をスローライフ化出来ればと考えています。
無限な宇宙のかなたに高質重のブラックホールか否か高密度なせめぎ、ゆらぎからビッグバンが起こり、衝突を繰り返しながら46億年前に原始地球が生まれました。それから現在までの46億年を12ヶ月計にたとえると、人の祖先ホモサピエンスが250万年前に誕生したのが12月の11時38
分といわれています。極めて小さいタンパク生命から、はるかなる3次元時空間をくぐり抜け、壊滅と進化を重ねながら、コラーゲンを網羅して細胞を紡ぎ偶然に創られたものらしい。
みずみずしい生命輝く緑の地球で、生きとし生かされる者達の暖かい言霊とゆれずれる暖かい時空間をゆっくり堪能したいものである。
21.風土[2004/10/03]
[↓]
[↑]
いやぁー、メチャクチャ暑い夏だっけねェー。
ほして(それから)にっぽんさ上陸した台風は8つめだどぉー(だそうです)と、事毎に話になった記録づくしの2004年神無月迄の気象でした。連日うだる夏日を過ごし、大空を切り裂く直下型の雷様は、土砂の雨を降らし、そのパワーは恐れと怖さを感ずるものでした。
世界各地で発生した風水害は甚大で、日本にも8ヶの台風が上陸して日常生活に大被害を与えました。長らく安定していた世界の気圧配置が、温暖化で気候と気象が変移しているのかもしれません。
海水温の上昇や南極のオゾン層破壊が年毎に増大し、地球温暖化に歯止めがかからない状況です。地球温暖化対策の為、開催された京都議定書に本年秋、ロシアが調印を致しましたが、CO2排出大国米国は、いまだ離脱中です。途上国のCO2排出量を買い取り、数値を調整している状況下です。日本もCO2排出量が世界の5%であり、14%の減少を求められております。
地球の諸地域がそうであるように、日本の山形も例外ではないようで、果樹生産地の福島、山梨の気象に近づきつつあります。温度上昇を頭におき、経済樹体の果樹に旬の生命力ある果実が成るようにしておりますが、気候風土の変化が気になるところです。
故郷の生まれ育った気候風土の土地によって働く微生物は違うので、日常、命の糧として必要なものを、その住んでいる土地からいただく身土不二の暮らしと生活、それは健康に良いだけでなく日本の農業を守ること、日本の景観を維持する事につながります。日本の環境保全、気候風土にも役立つことを知って食をいただけば、楽しい文化生活(カルチャーライフ)になることでしょう。
日本民族の食を大事にするなりわいが農業であり、土の文化(アグリカルチャー)は、心の耕をなりわいとしています。
今、経済活動圏が世界規模で動き、地域により物質が溢れたり不足し困窮したり、大きな格差が生じております。その混沌とした現社会において大切な事はなんでしょうか?。地球上に瞬時の一生を借り受け、星空を見上げ緑の大地を拝し大自然の懐にいる、健康な身体にあるのではないでしょうか。
三大病の癌、心疾患、脳疾患等、突然に起こるのではないようです。よく調べていきますと、毎日の食生活と暮らしにあるようです。その食を担当しているのが農業というわけで、川上に昇って、つめて考えてみますと、気候風土と土作りがいかに安全なものでないといけないかが明らかに解り考えさせられます。
今、グローバルスタンダードに情報が走り回り、IT革命がより進化して、環境、エコロジーに配慮した製品を生み出す企業が各産業に浸み込み始めました。
世界の地域風土や気象に配慮していない画一的なオーガニック、有機栽培(JAS有機)等々、これから改良することもありますが、健康体、安全に対する関心は、これまでになく高まっていることは喜ばしいことです。これからの健康体は、福利、年金、医療を含めて、自己責任、自己自立しなければならないように、各施策に盛り込まれつつあります。
ここいらで立ち止まり、一考してみたいものです。時代背景もありますが、ここへ来てスローフードとかグリーンツーリズムとか、洋言語を見聞きする機会が多くなっております。
イタリアの片田舎、ブラの町で誕生したスローフード運動、早さ優先で来たいままでの生活と暮らしから食文化を見直すことで、元々持っていた地域の食文化と生活を大切にする。スローフードとは、ファーストフードが味の均一化で世界レベルの消費者操作をしていることに反対し、普段漠然と食べている食物を、一度じっくり見つめ直してはどうかという提案です。具体的には、
@ 消えつつあり料理や食品を守ること。
A こだわりの高い素材や食品を作る生産者を守る。
B 子供達を含め、人々に味と食育教育をする。
C 楽しみながら食と暮らしをする。他
人と自然環境の関わりがファーストに傾きすぎて、大量生産、大量消費、流通と、その歪みがいたるところに出て、環境問題、鳥インフルエンザ、BSE、新種のウイルス等の問題が発生しています。それらの事柄を防ぐべきスローライフを保存、再生しようというものです。
これから、故郷の土地の味、家庭の味、伝統料理の風味と豊かさを再認識して、楽しい食卓から、コミュニティー、文化の再生(ルネッサンス)を行おうと考えております。
22.包[2005/09/24]
[↓]
[↑]
交流舎のブナ、エゴ、ハゼが色付き始めた。4年前に建築したログハウスの西側に植樹した幾多の自然木が、年月を経て根が張り大きく成長して、優しく包み込んでくれている。
雪解けの遅い今春、ブナの葉芽は天に向かい展葉し、エゴの木は重さに耐えることが大変なくらいたくさんの純白の花を垂れ優雅に咲き溢っていた。
交流舎の前にそそり立つ川向かいの稲荷山は、切り立った岩場に、松の木がガシッと根を張り、紅葉とのコントラストが実に美しい。流れる川面には、銀鱗が飛び光り、川辺には可憐な野花が咲き、湿潤な空気が満ち溢れ、小鳥のさえずりが透けてみずみずしく聞こえてくる。夏には河鹿蛙の鳴き声が岩肌に共鳴し、日ぐらし蝉達が鳴いていた所だ。
良く晴れた日、小学生の頃皆と弁当開きのため登った稲荷山に行った。一歩一歩登って行くと、豊かな緑と、眼下に集落が段々と小さくなっていく。一望できる中腹で休んでいると、昔弁当開きした頃の光景が、あたたかく懐かしく思い浮かばれる。弁当の中身は白いごはんと漬物だったが、無心に実においしく、キャキャいいながら食べていたものだ。
緑多い木の下にあおむけになり、手足をいっぱい広げて寝てみた。何ともいえない安らぎと至福感が身体中に駆け巡り、大地との一体感を覚えた。
又、透き通る青空と満天の星を見ていると、刹那と宇宙軸のはざまの中で、時間を超越した感覚におおい包まれている事に気付き体感することが出来る。思考しない、無知、無意識の中でも、緑の大気と宇宙は、潜在的な力で影響し合っていることを認識し、太陽系銀河団に共生するあまたの水生命生物は、関わり合い帰依している事に気づかされるのだ。
地球上に共に生きる関係は、地球(ガイア)という惑星に種々の条件で偶然発生し、生命が重なり進化し紡がれている。最初は単純アメーバ状の原核細胞の内のミトコンドリアや葉緑体のもとになる原核細胞に取り込まれて進化していった。すべての生物が細胞分裂を繰り返し、DNA(遺伝設計図)をそなえ、関係を保ち続けることにより大気と水の地球号に包まれ存在する。
我々60兆の細胞人間の始祖は、原始生命の内部生命系、外部生命系、循環生命系、地域生命系、地球バリア生命系と多重層の中で包み込まれている。宇宙の中に偶然に出来た緑多い青い地球に、水生命は生かされ包まれている。
ところが地球社会のありようは、有形無形の環境破壊を引き起こし、二酸化炭素による温暖化なのか深海から流れいずる潮流が蛇行し、海水温が上昇し大気流を作り、異常気象が災害をまねいています。
又、言われ続けて久しいダイオキシンや環境ホルモンのように、人間が生み出した無数の化学物質の中で、微量でも生命をおびやかし種の存続に影響を与えてしまうものや、輸入大豆、トウモロコシの遺伝子組み換え食品が、食卓に知らず知らずの内に加工され出回り始めている。
生命倫理上問題のクローンのように、有史以来、自然の共生摂理を超える技術など、不安がつのります。森の空間から出没した、各変異ウイルスの存在と広がりも気になります。
オゾンバリア層内で越えてくる硫黄酸化物や放射能の影響は、川や湖沼を汚し、森を枯らし、農作物にも被害を広げていきます。
人的環境破壊による共生系生命の危機は、地域共生系から地球共生系規模へと、今広がっています。しかも、目前に迫った人口減少社会をどう生きればいいのか、どういう社会を描いていくのか、さだかに見えにくいところです。
しかし、明日を見いだそうとするなら、今立っている位置を見定め、ここまでの道筋を冷静にふり返り点検しなければなりません。
近代化の光と影を問い直し、人々の生活の質やライフスタイルを考え、未来へ向かう足場を築いていく時期かと思っています。
山の頂で食べたおにぎりと水、おいしかったァー。
23.温暖化[2006/05/27]
[↓]
[↑]
近年の熱波や北極海の氷の減少が人間活動によって引き起こされ、地球温暖化が加速し続けている。長い地球の営みの中で、短期間における2〜5度の気温上昇は、大気中の温室効果ガスの急激な増加が主な原因である。
地球規模で起こる異常気象は、中世代から形成されてきたオゾン成層圏の気流の変化によってか、エネルギーが蓄積されやすくなった。1970年代以降、北極海の氷の30%が減少して海水面が上がり、また、南極上空に出来たオゾンホ−ルの拡大で、太陽放射、海面水温(エルニーニョ等)が変化しております。
有害な紫外線から生物を守るオゾン層破壊の原因となるフロンやハロンは、国際社会の排出規制といのちを守るオゾン層保護策が有効に働き、オゾンホールは現在最大であるが、2020年代半ばには縮小しはじめ、今世紀半ばころには1980年レベルになるとした、喜ばしい予測がでております。また、車が俳出する多量の二酸化炭素を減らす為に、バイオマスエネルギー(光合成=光熱量)スィートソルガム(サトウキビ)や、雑草を酵母を用いてアルコール発酵してエタノールメタノールに変えガソリンに割り使用することで、二酸
化炭素を減らすことが実用化されることになりそうです。自然環境に優しい太陽光発電や、空中より水素を取り込みながらの進む方法、真空間永久動力学を駆使した動力装置は出来ないだろうか。
熱帯雨林で営々と交換されてきた命をはぐくむ光合成(水と二酸化炭素とで生み出す酸素)の繋がりは、現地の貨幣交換経済の影響を受けて、木々の伐採等で開墾、造成され温室効果に拍車をかけている。私たちの体内を循環する8%の血塩と酸素は内海で創られており、光合成作用は膨大な酸素を作り出し、二酸化炭素を珊瑚や吸着岩に閉じ込めてくれている。
化石燃料の消費で成り立つ経済活動は今、経済新興国の発展により河川から沿岸海洋を隔て、地球規模で環境汚染を引き起こしている。未来につなぐ緑の地球号を防衛するため、第1回2000年京都議定書、第2回2005年オタワ議定書(世界の二酸化炭素排出規制総量要綱遵守)を世界各国が履行し、アメリカの加入と、割り与えられた二酸化炭素の排出量を守って自然環境にやさしいエコロジーな産業経済活動が、今企業に求められております。
私たちの食とくらしを享受してゆくには、日々の人間活動が深く環境に関わり合ってることを意識して、個々の立場でなるべく自然に負荷をかけずに生活をしていきたいものです。
めぐり来る麗しき美しい日本 最近、温暖化現象と異常気象は田舎にもしのびよっております。2005年やまがたの冬は小雪といわれ、12月までは暖かい日が続き暖冬かと思っておりました。カメムシの生息数や螳螂(カマキリ)の巣が小木の下方にあったので、雪は少なめと郷の古老が語っていたのである。
しかし、師走の13日から連日の豪雪で、2006年早春まで雪片付けにおわれる事となってしまった。樹園地も直ぐ根雪となり、枝折れと鼠の根幹への食害が2000年にも増して多くなりました。
春4月からの冷気により各果樹の開花が10日程遅れ、サクランボの収穫が6月末頃より7月10日頃になりそうな気配です。昨年のように温暖化の影響か急激に気温が上昇すると、収穫後の輸送途中等に痛みやすくなります。さくらんぼは大変鮮度管理が難しい農産物であり、品質管理の徹底が必要です。劣化は特に輸送途中の温度変化に大きく影響されますので、今年は航空便を使い常温で翌日配達を心がけてまいります。
昨年のさくらんぼは、低温、霜害による受精不良と収穫後半の猛暑で、大変苦慮しました。これから早い時期の猛暑を想定した作業を組み立てる必要があります。
ちなみに、昨年のさくらんぼハウス内温度は、放射温度計で測って見たところ、果実温度が37.5℃、葉面温度48℃、雨よけハウスパイプ温度は70℃を超えておりました。初夏から出回る旬のさくらんぼは、果実温度の低い朝採りを基本として、一連の収穫→選果→荷作り→発送→お届けまでの行程を、より良い環境で進めなければなりません。
樹から収穫したさくらんぼは、時間の経過とともに鮮度が落ちてまいります。旨味と鮮度を極力保持して皆様にお届けするために、園内でワンランク上のさくらんぼを調整してお届けしてまいります。
さくらんぼが終わると、香りの水菓子、桃の出番となります。蝉の鳴く猛暑の日中を避け、朝霧のたちこめる早朝からの採り入れとなります。朝露の園地に行くと、桃の木にベルベットの赤い実が、水気をはらんでたわわに実っております。桃の表面には細毛があるので、肌に触れないようにしてシュシッと収穫して行きます。
山の裾野から湧き立つ入道雲(積乱雲)、大きく広がる青空のもと、フルーッソムリエの俺は皮ごとかぶりつき味見をする。指間から滴る果汁は、少年時代の叙情風景を甦らせてくれ、色つきの温かいものが懐五感にじーわぁーと立ち昇ってくる。
こころと五感身体の機能を健やかにする果実や穀類は、微生物豊富な土壌と、ほんまもんを目指した風土と人(火、水、光合成)により生まれます。
里山がもたらす清浄な空気と水は、いのちを育み多くの葉緑栄養素とミネラル分が含まれて微生物群の棲家となり、そこから穀類、昆虫、魚、小動物達の互いのいのちの交換と循環が始まってまいります。
食物連鎖の始まり光合成バイオマスは、古代から連綿と堆積土着してきた生き物たちの食の糧になり、栄養素は川をくだり、プランクトンは海へ注ぎながら全てのもののけにしみわたり、こころといのちの糧を私達に授けてくれている。
地球を守る微薄なオゾン層は、宇宙からの太陽光をやわらかく大地に降らし、生きとし生きる者達へ、木陰から爽やかなそよかぜと森からグリーンシャワーをプレゼントしてくれる。
無限な宇宙空間の恒星から舞い降りた51元素を基にいのちが育まれ、縁(えにし)により生かされている。太陽系から千二百万光年離れた渦巻き銀河星団M81や、他の星で年老いた星や生まれつつある若い星の生成過程や構造がかいま見られる。ブラックホールに吸いこまれる星は、創造を超える質重にゆらぎ軋みあいながらビッグバンが繰り返される。極、稀有、偶然の中で、地球は自転し太陽の周りを公転して、日々があり、年月があり、バリア層があり、季節毎の記憶が自然を活用する方法を確立してきた。
そこに、自然と人間の生と死の営みと祈りの世界をつくりだし、新しい文化を創造するようになった。私たちの精神文化は、農のくらしから派生し、奥深いところで水や、風や、土と結びついている。鎮守の森から聞こえる祭りの賑わいと直結していたはずの社会が、経済価値を追及するあまり、過去の記憶を刹那に無意識に忘却している。今、記憶を邂逅し、自然の豊かさ、人々が支え合う世界 安心感に満ち無事な生き方を思い起こし、いきものに対する普遍の技、仕事の文化を再生する(青い鳥運動)平成ルネッサンス時
代である。
はるかなる時空間で紡がれた自然輪廻のオゾンを、近未来の星の子らに残すことが、大事である。
5月雨 空気といきものすべてを浄化してくれる。
24.香[2006/10/07]
[↓]
[↑]
庭先の金木犀の香りが秋を運んでくる。
あわただしく何気なく毎日を送っていると見逃す季節の変わり目を、その甘い香りが秋を告げてくれる。黄色い小さな星型の花は目立たないが、良い香りはそこらに広がり静かに息を吸いこむと顔が上向きになり、自然と目をとじている自分がいる。
金木犀とコスモスの花が咲く頃、学校の校庭で大運動会があった。
遊ぶことが生活の大部分だったので、秋の大運動会は楽しみだった。
1960年代の行事は、子ども達だけでなく家族そろっての地域のお祭りだったからである。いろんな競技種目ごとに得点がつけられる地区対抗戦なので、本気モードの大人達は真剣に取り組みすぎて、時には喧嘩になるほどだった。
徒競走の脚力と腕力を鍛えているお父さんも、お母さんも子ども達も、みんな一緒になって熱戦を繰り広げ集中する。次々と競技が進んで、得点を見ては一喜一憂し、昼食時には校庭の桜の木の下で家族の弁当開きとなる。
そして歓声が響き渡る中、いよいよクライマックスの地区対抗のリレー。子どもや大人も老若男女の別もなく、文字通りの総力戦。優勝チームには大得点が加算されるため、綿密な作戦が練られる。学年の低い子からスタートして順序よくバトンタッチされてゆく。花形のランナーは、地区一番の俊足のお父さん、何人もごぼう抜きにして優勝なんかしてしまうものならその日から田舎の一躍大スターであった。
年一回の大イベントが終わり、裸足の砂を払い落として、家路に向かう頃は野の花やすすき野が夕陽に染まっていた。粉塵たつ道から集落に入ると、土壁と藁葺き屋根の軒下を這う霞は風呂を沸かす亜炭のにおいを和らげてくれて、叙情の良い香りに昇華させてくれた。
いまでも、それらの香りに出会うと、60年代の光景が瞼の裏に残像として脳と左胸と脊椎間を駆け巡り、想いに馳せる事がある。里の大きな栗の木に登ってイガ栗を落としてはイガを両足で開いて取り出す。アケビやきのこを探しては野山を駆けずり回る。そんなサバイバルな遊び体験から五官を修養して、人は自然に包まれた生活を作り出して生きてこれたのかなーと思う。
天高く人馬肥えるこの季節 スポーツ、芸術、食欲に・・・・
日頃何気なく流されて過ごしがちだが、もっと一期一会、瞬の秋を感じたいものです。
西山に落ちる峰とのコントラストな赤墨な残照、鱗雲上空からの放射光と碧空、風に揺れるすすきヶ原、冷気が塵を地に留め濁りのないすっきり見える星月、色づきはじめた木の葉、秋にはいろんな香りの世界が満ちあふれている。
25.食べ食べられる[2007/09/29]
[↓]
[↑]
小さな生き物は、それより少し大きな生き物にそれはさらにその上の生き物に食べられ、大きな生き物が死ぬとその屍を小さな生き物が食べて生きてゆく。
そうした仕組みになっているのを連鎖といい、その頂点に立っているのが人間です。食べ残しや、排泄物などのおこぼれを食べている生き物もいます。地球上に住んでいる生物はお互いに意識する、しないに関わらず何らかの関連を持って食べ合っているということになります。しかし人間がその頂点に立っているとは必ずしも言えない事件が私のもとにたびたび発生しています。
雨上がりに近くの山手の草むらにほんの少しでも入ると決まって俺の養分を吸いに来る生き物がいます。たいていは足のふくらはぎの元の当たりです。見ると緑茶色のヒルが張り付いているのです。皮膚に張り付いているので強く引っ張らないと取れません。記憶を辿ると昔は皮膚にできものが出るとヒルに悪い血を吸って患部を治療していたこともあります。それ以外にもブヨ、蚊、アブ、さらに水虫、カビ、腸内細菌、など生き物の頂点に立っているといわれている人間の養分を食用としている生き物達沢山がいるのです。そうなるとどの生き物が頂点にいるのか判らなくなってしまいます。私は植物から動物まで食用として頂いておりますが食べる側に位置していることは間違いありませんが、上記の事実からすると食べられる側にも位置しているようです。
地球に住む生き物が全てこの様な関係にあり、私が生きて存在していることは地球の他の生き物の繁殖に役立っているということになります。その意味でも長生きする事は生命の星、地球のために役立っているという事になります。無理があると考える方もいるかもしれませんが、そう考えると健康に生きていくことの意味が地球規模で重要に思えてきます。「そうか俺は家族、知人のためにだけ必要とされているのではなく、地球規模で必要とされている人間だったのだ。」と改めて想い体をいたわって今夜もお酒でも・・・・?ということになります。
以上、事柄は違っているように見えますが、微生物、虫、動物 、人間の心の襞、風土、世界経済、宗教、5次元宇宙等々食べる食べられる輪廻の環境時空間で今日も生かされている事に気づかされます。
26.汽車の旅[2008/04/30]
[↓]
[↑]
冬場に宮沢賢治が生活した花巻・盛岡・雫石にいってきた。
1月18日7時47分発の普通列車でさくらんぼ駅から新庄駅まで行き乗り換えて横手駅に向かう。大石田から積雪量が次第に多くなり峠の及位駅から湯沢あたりになると積雪が1メートルを越えてきた。
JR構内の屋根は年末からの雪が積もり年輪となりキノコ笠のようだ。少ない乗客も寒いのか誰も無口でワンマンカーの自動アナウンスが駅名を告げている。
電車が走り出すと風圧で線路上の雪を巻き上げるのか地吹雪となり水墨画の雪景色はとたんに見えなくなってしまう。乗り換えの横手駅に15分遅れで着くと駅はずれに2両のディーゼル気動車が待っていた。せわしく乗ると山あいを蛇行しながら軋む音を立ててひた走る。自然豊かな雪国のSL機関車の旅をしている感覚になってくる。
錦秋湖駅あたりから集落の人や温泉客が乗ってくると生活の息づかいが感じられる。北上の町が近くなると雪は無くなり人々と町並みが次第に大きくなってきた。北上線から東北線に乗り換えると途端に乗降客が増し、矢巾駅周辺は盛岡のベッドタウンとなり今風の家が建ち並んでいる。
盛岡駅で星めぐりの音楽が聞こえる食堂に入り定食を食べ賢治ワールドホテル・森の風に着いたのが13時30分で、東北自然農法研修会が既に始まっていた。
山間部、里、村、町、街を気動車に揺られていると、田舎の原風景が次々と車窓に展開してトーキー映画を観ているかのようだ。映画ロケーション地を探訪する監督の面持ちになってくる。道中岩手に入る頃には銀河鉄道の夜・よだかの星・永訣の朝等思い浮かべ、あれやこれやを想い廻らす自分がいた。
花巻の宮沢賢治記念館では童話「注文の多い料理店」がファンタジックな漫画で上映されている。お腹をすかした二人の狩人が、"注文の多い料理店"と掲げられたレストラン「山猫軒」に入る。注文の多い賑わった料理店と思いきや、注文されたのはお客のほうで山猫が狩人を食べてしまうと言う風刺のきいた童話だ。
狩人を都会人とすれば賢治の理想とした農村のイメージは、土着食材を土着人がいただくところがあるのではと、勝手に解釈している。ピザのレストランといっても、イタリアンとかフレンチ、あるいはアメリカンと今流行の都会の食文化を持ってくるのではない。普遍な風土の中にも、ほんの少し視方と意識を変えるだけで光ってくる料理や風景が、たくさんあるにちがいない。
賢治の視点は、遊びに学ぶところは多くイギリス海岸の数多の宝石・銀河鉄道はどこから離陸して空の駅に向かうのか?宇宙の構造、51元素の絡みなど好奇心と学びが気象学や土壌学の研究になった。
頭と身体に反応する食材は、賢治の時代の比ではなく地場産の食材から海外に多く依存している。穀物類がバイオ燃料にまわされた事と干ばつの不作で穀物がひっ迫している。又ファンドマネーがオイルとシカゴの穀物相場にも入っていると聞く。中国やインドが生産国から消費国になり水産資源を含め世界の食料が日本に十分に供給されない不安が現実のものとなってきた。
穀物価格は高騰し世界の各地では飢えに苦しむ人々がいて暴動も起きている。これまでは、地球環境温暖化対策がメインだったが、世界の食料供給を調整する会議が必要になってくる。どちらの案件も地球規模で関連し深く結びついている。
国は生活者にもっと情報を提供して自給率の改善をはじめ、将来の食料危機に備えるライフスタイルを真剣に実体確認にしていく必要がありそうだ。昭和の初め宮沢賢治が人々からでくのぼうと呼ばれながらも農民総芸術論を唱え羅須地人協会を設立した。
「未完成これ完成である」とした考えは一度きりの出会いだった新庄の百姓青年松田甚次郎にも戦前に受け継がれ、後に松田が農民劇「水涸れ」や「土に叫ぶ」を発刊し話題を呼び師の宮沢賢治の遺作を羽田書店から出版して全国に広がった。今日では「21世紀の思想家」希有の天才詩人童話作家といわれるが、松田が紹介する役目をはたした。
これから、自分の食いぶちは自分で作るくらいの覚悟が必要で農業を取り入れた健康態な食と暮らしが必要になってくる。普遍で持続可能な暮らしぶり、現代版、国民総農芸術を年度別未来計画化して実践しなければいけない時代がきたのかなーと思っている。
27.ルネッサンスカルチャー・間[2009/04/25]
[↓]
[↑]
拝啓
新緑の季節が美しい。里山の緑も淡く色づいて木の芽も萌え初めた。津々浦々の故郷も光と雨を受けて地域色の希望の春を今年も変わらずに迎えた。
本日4月25日は最高気温が摂氏11度C、さくらんぼ等の果樹にとってこれからが結実を左右する大事な時期なのですが天候に恵まれません。週間予報でも寒さと雨が続きますので農作物の結実が心配されますので鳥の羽で作った棒で人工授粉の実施が重要な年です。悪天候が続いているために花粉の出も悪く受粉の手助けになる訪花昆虫の蜂が飛ばないからです。
ですから山形県では特産品のさくらんぼが結実するようにとテレビや新聞・広報車で人工授粉の勧めや防霜対策の喚起啓蒙をしております。今後の対策としては悪天候と開花状況を見据えた細心の肥培管理が必要となってきます。
フル−ツの森・森谷果樹園ではご注文を頂いた皆様の顔を思い浮かべながら業を土穣・果樹・水圏・大気圏に施して笑顔の収穫を迎えたいと思います。果樹園から見える霊峰月山・水晶山。稲荷山の移ろいはいつもと変わりませんが気象は変わりつつ社会状況は混沌としてきました。
思えば10数年前にバブルがはじけ不良債権により破綻した金融機関に税の公的資金導入や、冷え込んだ消費マインドに地域振興券を配布するなどしましたがあまり効果はありませんでした。(我が家ではもらえませんでしたので?)一方、民間企業ではリストラが盛んに押し進められ官も民も拡大路線から縮小へと全ての組織が動き始めたかに見えました。これまでのような経済発展が望めないとして新しい価値観が押し進められたような記憶があります。政治と社会学の立場から規制の見直しと解除が図られて生き方はマイペースとかマイオンリーとか個性重視の方向に偏重して人との繋がりやコミニテイも希薄になるはじまりの時代だったように思います。
そしてここ数年には、富豪の出資金や金融機関の潤沢な金がプライムローン等の投機マネーとして世界を席巻しましたが世界の金融バブルが昨秋に崩壊しました。金融商品の幾通りの組み合わせが原資を不明瞭にして世界の金融経済が未曾有の不況になっております。日本も外需輸出頼みの産業構造から受注が急激に減り不況になっております。対策として雇用と企業存続のために公的資金注入が国会で決定し、景気浮揚試算2%の分の定額給付金が配布されました。
繰り返されるバブルは資本主義形態のロンドサイクルのようで時の場当たり施策に反映されて国民が本来安心して暮らせる社会制度保証の確立や国のありよう体系に繋がらないように思われます。賢明な民は政治とメディアに左右されず事の本質を見抜いております。
日本はエコロジーに配慮した省エネ技術を得意としておりますので確固たる中長期政策の方向付けが未来の次世代産業の育成となります。併せた福利厚生の安心プランと省庁と業態を越えた未来予想図を示し実行することが信頼と安心に繋がり国民の前向きに生きる活力と希望を育む礎になります。皆が誇りに思える国つくりになります。
世界の秩序・制度や仕組みの転換期である今こそ、個人の立場でもゆったりと数多の事柄に関わり合いながら気づきのある生活をしていければと思います。自然の山野草や動物や旅人に話しかけ先ずは和んでみてはいかがでしょう。私たちの懐に抱いている柔らかな時空で間を共有した先人との関わりから明日への生きる教示を頂きたいものです。
過ぎ去る月日と季節の移ろいの早さに驚きませんか。地域風土で営々と継承されてきた有形無形の歳時記を思い起こし山河を駆け回り遊びに興じた野哲学の時空の間を思い浮かべております。自然との関係や家族との関係、地域との連係、都市と農村の関係、いろんな関係の中でいろんな統合性に文化が創り出されていくことの妙味。
再生文化(ルネッサンスカルチャー)は環境と自分の中にある素養と普遍が折り重なり動機となり人との関わりのなかで紡がれてゆきます。決して自己完結するものでは無く一生涯にあまたの関わりを経ながら揺らぎ・意志が昇華し磨かれてゆくように思います。
自然とともに生きる。日本には恵まれた素敵な四季の自然のリズムとバイオリズムの間があります。懐柔する心根は良い人達が充ちております。小さい畑に旬の野菜でも植えて空を見上げると四季折々の彩りが眩しく透けて見えてきますヨー。
あなた様のご健勝とご活躍を祈念申し上げます。敬具
since Jan.01,1997