インフォームドコンセントについて

informed consent


医療を行っていく上でインフォームドコンセントが大事だという事実は 最近の日本の医療の世界でも一般常識になりました。しかし、 インフォームドコンセントの「説明と同意」という日本語訳ははっきり言っ て誤訳です。これだと医師の説得で承諾するという響きがあります。 本当は全く違います。患者本人が真実の充分な情報を与えられ(知る権利)、 自由意志で治療法を決定できる(自己決定権)というのが本当のインフォーム ドコンセントの意味なのです。

1)真実の情報を知る権利とは
真実を知る権利は、患者の固有の権利です。基本的人権と 言ってもいいでしょう。 そもそも、自分の病気がどんな病気なのか、正しく理解できなければなりません。 ここで問題となるのが、病名告知の問題です。ガンなどの病名「告知」(この言 葉も嫌いです)等はインフォームドコンセント以前の問題です。正しい病名、病状 を知らなくてインフォームドコンセントはあり得ません。 ガンの病名について知りたいかどうかなどの種々の検討が報告されています。 多くの統計で自分については知りたいが、家族には知らせたくないという人が 過半数だという矛盾した結果があります。この矛盾は何から生まれるのでしょうか。 この判断のぶれは、自分については知りたいというのは常識的で論理的な判断で、 家族には知らせたくないというのは感情的で少数の経験や根拠のない伝聞に基づくためと思われます。
真実を知らされた場合と、知らされなかった場合の違いは充分に検討する必要は あります。また、真実を知る勇気、真実を知らせる勇気を持つために必要な方法や 手段を用いるべきです。
知る権利に対し、知りたくない権利があるとする人たちがいます。むしろ、現在 も全員に知らせるという方針の人たちより多いかも知れません。しかしだれが 知りたくて、だれが知りたくないかを、その人たちはどうやって判別するので しょう。性、年齢、職業などによって差別するのでしょうか、それはできません。 ということは、患者自身が自分の意志で、私は知りたくないと明示的に表現しない 限り、原則として真実を知らせる方針でいくしかありません。 何を知りたいか知りたくないかを決定するのは患者自身だということです。

2)自己決定権とは
医療従事者や家族が満足する医療と患者本人が満足する医療とは必ずしも一致 しません。多くの場合、家族の希望は家族の満足度を中心に決定されていて、 本人の希望と一致するとは限りません。これは、明らかな事実です。
自分がどのような医療を受けるのかについて、決定権がなく、意見も求められず、 検査や投薬や手術などにより引き起こされるいろいろな結果などがほとんど 知らされないことは、正常な人間にとっては耐え難いことです。医療では、それ による苦痛や療養生活での制約は、患者本人にのみもたらされると いうことを医療従事者や家族は患者の立場に立って理解しなければなりません。 だからこそ、患者本人が、正しい情報を知り、自分の意志で決定する機会がなけ ればならないのです。


インフォームドコンセント以前の時代、反省すべき点



患者が治療や暮らしかたを決めるのに充分な情報がなければインフォーム ドコンセントではありません。真実を告げないことの害、これは 何年か前までは普通にあったことで、いや場合によったら今でもあるのかも 知れません。 患者が全く知らずに外来で制ガン剤を投与されていたことが一つの大きな原因 であったソリブジンの悲劇や、病名を教えられなかったばかりに、配偶者に AIDSをうつしてしまった等という事件はこのような状況から生まれました。
私のいる病院でも厳密な意味では、必ずしもインフォームドコンセントが なされてはいませんでした。 最近は個々の医師の努力で、患者本人の同意を得ないで制ガン剤は決して使用しない、 手術の危険性や合併症などを本人のいる前で説明し、なおかつ手術が必要なことを納得 していただくなどの方針を固め、少しずつ改善を図ってきています。
危険な手術でも家族にだけ説明すれば(治癒の)可能性が5%で苦しい治療が必要でも 一縷の望みをかけて、積極的にやってくださいとお願いする家族がいるでしょう。 むしろそのほうが多いかも知れません。しかし、痛かったり苦しむのは家族では なく患者自身なのです。 家族といえども患者の痛みは本当にはわかりません。
逆の意味での問題もありました。今から5年以上前の話ですが高齢の胃癌 の患者の例です。例によって家族だけに癌の手術の説明をしたら おじいさんは80すぎてもう年だから何もしないでくれといわれ 本人に何も説明もないまま患者の癌死が家族と医師の間だけで決定された等 ということもありました。 こう言うのをつんぼ桟敷に置かれるというんでしょうか。 これなどは本人がそういうのであればそれでよいと思いますが、 私は、この選択が本人の知らぬところでなされていることに以前より はなはだ疑問を感じていました。

我々はこんなふうにして患者の自己決定権を奪ってきたのでしょうか。
自分自身を含めて反省しなければなりません。今後は患者の権利章典を掲示する 運動をしていくつもりです。


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1996年1月6日更新